2018年3月1日木曜日

アナディの教え~アナディwebサイトより その4 目覚めの地図 vol.3 「本質的なme」の次元

目覚めの地図

vol.3

本質的なme(エッセンシャルme)」の次元          

 「本質的なme(meエッセンシャル」は、私たちの実存そのものの核であり、生きているエッセンスであり、意識の力でもある。「本質的なme」のハートは、「エッセンスme」であり、主体の最も深い核だ。「エッセンスme」は私たち全てが備え持っている「私」の大元の感覚だが、無意識のままだ。「エッセンスme」は私たちの始まりであり、その自分自身と出会うことを通して、自分自身の実存に意識的になる。それは「意識的me(コンシャスme」へと花開き、最終的に「内在するI am(イマネントI am」という自分自身の源を実現するに至る。自分自身を知るということは、「エッセンスme」を知らなければならない、ということだ。

the Inner Knower(インナーノウワー 内なる知る者))」の目覚め   

the Inner Knower(インナーノウワー 内なる知る者))」は魂の真のセンターだ。まさに、私たちの実存の核だ。彼は、彼の創造への拡張である「the Outer Knower(アウターノウワー 外なる知る者)」の最初のアイデンティティだ。「the Inner Knower」の目覚めと、その完全な変容が、スピリチュアルな道と私たちの地上での人生の最高の目的だ。「the Inner Knower」の進化は複雑で入り組んでいて、「本質的なme」の次元の完全な理解を必要とする。「the Inner Knower」は、その実際の目覚めの前に、私たちの霊的な願望やインスピレーションの源として存在しなければならない。「意識的me」、もしくは「意識的なthe Inner Knower」の実現を通して、彼は正しく目覚める。それから、彼の変容の旅は、垂直な明け渡しと自己の吸収を通して、「絶対の(アブソリュート) Knower」、「基本の(ファンダメンタル)Knower」、「原初の(プライモ―ディアル)Knower」、そして「内在する(イマネント)Knower」へと続いていく。


自意識的な観察者セルフコンシャスオブザーバー」から「意識的me(コンシャスme)」へ:
the Inner and Outer conscious Knower内側と外側の意識的なKnower)の目覚め 

本質的なme(エッセンシャルme)」への進化は、外側と内側の「the Knower」のベアアテンション(裸の注意である「自意識的な観察者(セルフコンシャスオブザーバー)」と「意識的なme」の目覚めから始まる。「観察者(オブザーバー)」は、自分自身の主体に目覚める前の「the Outer Knower」の最初の表れだ。「the Outer Knower」」は「エッセンスme」の外側の層であり、外側の注意と概念的な知性のセンターとアイデンティティだ。「the Outer Knower」が自分自身のアイデンティティに無意識である時、私たちはそれを「観察者」と呼んでいる。ここでは、外側の注意のエネルギーが、知覚の対象と自己同一化する方向へと常に彼を引っ張り続けている。「外側のエッセンスme」が目覚めるためには、「the Inner Knower」が「観察者」の「私」の感覚に辿り着き、その主体を認識しなければならない。これが、「自意識的な観察者」の実現であり、「エッセンスme」のベアアテンションの最初のレベルだ。

そこから、内なるリラックスと「自意識的な観察者」の自己の吸収を通して、「エッセンスme」の原初のセンターが輝き出す。「エッセンスme」の原初のセンターが、自分自身の純粋な主体に目覚める時、私たちはそれを「意識的me」と呼んでいる。「意識的me」が「the Inner Knower」のアイデンティティであり、ベアアテンションである。そこでは、「the Inner Knower」は純粋な注意と私たちの内なる純粋な知性のセンターだ。

意識的me」にとって、「絶対的な(アブソリュート)Knower」というその最も深いアイデンティティへと進化するためには、2つの方向に進化しなければならない。まず、「純粋な意識的me(ピュアコンシャスme)」と「基底のme(ファンダメンタルme)」というその垂直への拡張を目覚めさせ、それらのセンターを通して、垂直な明け渡しとサマーディに到達しなければならない。次に、その第1と第2のセンターの両方を通して、自分が吸収されていかなければならない。つまり、「the Inner Knower」と「the Outer Knower」が内側で「エッセンスme」のコアそのものへと溶け込んでいかなければならない。

ピュアアテンション(純粋な注意                   

ピュアアテンション(純粋な注意は、「the Inner Knower」の純粋な主体の光へのダイナミックな放射だ。それを通して、「純粋なme」と「本質的なme」の両方のアイデンティティが実存の中へと入ってくる。純粋な注意の目覚めがなければ、人は決して正しく瞑想することも、内なる目覚めのプロセスと協力することもできない。純粋な注意がなければ、「私」を実現したり体現することもできず、I amに明け渡すこともできない。ピュアアテンションは、「意識の純粋なme」だけではなく、「the Inner Knower」の二次的なセンターとみなすことのできる、「ビーイングの純粋なme」、「ハートの純粋なme」、「純粋な意識的me」、そして「基底のme」の全てを目覚めさせる任を負っている。さらに、「エッセンスme」そのものである、注意自身の主体の核を目覚めさせる任も負っている。「エッセンスme」の心髄から、魂の全てのセンターの主体を目覚めさせるために放射されているもの、それがピュアアテンションだ。

純粋な意識的meピュアコンシャスme」             

純粋な意識的me(ピュアコンシャスme」の目覚めは、極めて重要だ。なぜなら、それがなければ「意識的me」は存在の次元を超越することも、マインドをthe Outer Knower」に統合していくことも決してできないからだ。「純粋な意識的me」は「the Inner Knower」からの純粋な注意の垂直な拡大だ。それを通して、「意識的me」のアイデンティティはその存在の身体を確立し、垂直の次元へと成長し始める。「意識の純粋なme」、もしくは「純粋な意識的me」が誕生するスペースを開くのは、リラクゼーションと「意識的me」の穏やかな明け渡しを通してだ。

純粋な意識的me」は、「意識的me」の「絶対のI am」への拡張として、下位の「意識的me」をダイレクトに目覚めさせる。それは「意識的me」と直接つながっていながら、ベアアテンション(裸の注意というそれ自身のセンターを持っているという意味において、全く新しい「私」でもある。「純粋な意識的me」は、「意識的me」の下、額の正面で体験される。それはピンポイントの位置ではなく、もっと広い。それが「意識的me」のための真の橋として仕えるためには、「純粋な意識的me」が本質的な通路を通って完全な明け渡しに到達しなければならない。「純粋意識」が「不在」に到達する時、それは前頭葉の底、眉毛の位置で体験される。


原初のプライマリーme」                  

一度「意識的me」と「純粋な意識的me」の両方が目覚めると、この2つのセンターは普通、あまりにもかけ離れて体験される。「エッセンスme(意識的me)」のアイデンティティとそのビーイング(「純粋な意識的me」)にギャップがあるということだ。このギャップに橋をかけるために、「意識的me」はとても深く「純粋な意識的me」の中へとリラックスしていかなければならない。すると、「エッセンスme」はそのビーイングの中へと吸収されていく。「原初のme(プライマリーme)」の実現では、「意識的me」はまだ完全に「純粋な意識的me」の中に吸収されてはいないが、それらがひとつのセンターとして感じられるほど十分に明け渡している。


基底の(ファンダメンタルme」                  

基底のme(ファンダメンタルme)」は、「純粋な意識的me」の「純粋なme」だ。それは、もっぱら垂直に明け渡した、より拡張した「意識的me」だ。「本質的なme」にとって、「絶対のI am」への垂直な入口を開き、サマーディの基盤を創るのが「基底のme」だ。「基底のme」は「意識的me」と「純粋な意識的me」のどちらからも下に体験される。眉毛の下から、目を通って頬骨の下のエリアだ。「基底のme」と「絶対のI am」の統合が、「基本的な状態(ファンダメンタルステート)」だ。


透明なトランスペアレントOuter Knower             

最初は「観察者」が偽りの自己のセンターだ。それは純粋な主体とは切り離されているということだ。それは次第に「the Outer Knower」へと発達し、変容していき、並行して「意識的me」と「純粋意識」の目覚めへと変容していく。「the Outer Knower」は、概念的な知性のセンターであり、より高次の魂の知性のセンターとして、最高の「内在する(イマネント)I am」の実現まで仕えることが、その運命だ。自分自身の主体に目覚めた「観察者」と、「意識的me」のベースから作用しているものが、「意識的(コンシャス)Outer Knower」だ。「意識的Outer Knower」は、「意識的me」の2つ目のセンターであり、外側の注意と結びついている。そこで、この2つ目のセンターは、完全に意識的で透明になり、「意識的me」と統合されることを通して、純粋な主体とさらに深く整合されていく。

意識的Outer Knower」は、「the Outer Knower」をより深い「本質的なme」のセンターと同調させることにおいて、重要な最初のステップだ。それは、「基本的意識」の土台から生じる。そこは、4つの意識のセンター(「意識の純粋なme」、「基底のme」、「純粋な意識的me」、そして「意識的me」の4つ)が全て体現されるところだ。「基本的意識」が体現される時、私たちの自然な「the Outer Knower」との自己同一化は、自己認識と純粋な主体への明け渡しによって常にバランスを保たれる。「the Outer Knower」は、純粋な主体の外側にある偽りのセンターへと逆戻りし、それによって、透明になる。

the Outer Knower」はなおも、知覚、もしくは思考の主体として、センターを作らなければならないが、瞬間、瞬間、このセンターは形成されるのと同時に、認識の流れと、「意識的me」と「純粋な意識的me」、「基底のme」と「純粋意識」への明け渡しによって解体され、かき消されている。「透明な(トランスペアレント)Outer Knower」は、「純粋意識」だけへの明け渡しと実現を通して、広がりとして体験される。しかしながら、本当の透明さに到達するためには、「本質的なme」の3つのセンターも同様に目覚め、体現されなければならない。「透明なOuter Knower」は、最終的に「基本的意識」の一部となる。

透明なOuter Knower」の実現は、その変容の始まりの証であり、その完全な内面化と自己吸収を通して、非常に促進される。この自己吸収は、「意識的me」への垂直な明け渡しの土台の上に起こる。

次に、「the Outer Knower」のより深い実現は、「半透明 (トランスルーセント)Knower」と呼ばれている。「半透明のKnower」は、「意識的me」の変容のベースの上に実現される。そこでは、「意識的me」は「純粋な意識的me」と完全に溶け合い、「絶対のI am」の中の垂直なサマーディの境地に到達する。

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