2017年1月24日火曜日

「鋳型」の浄化方法 その4 いよいよ具体的な方法

「鋳型」がどういうものか、
また、それを浄化していく必要性について、
今までのブログで書いてきました

ようやく、
その具体的な浄化方法について書いていきたいと思います(*´ω`*)

まず、
浄化していくタイミングですが、
これは、
実人生の中で何かが起こり、
その「感覚」が浮上してきた時がその時です

実際にその嫌な「感覚」が出てくると、
人は無意識にそれから逃れようとしてしまいます

でも、その時こそが、
まさに浄化のための最高のタイミングなのです!

それを逃さないようにしてください

それが浮上してきていない時は、する必要はありません

楽しい時は、ただ楽しんでください

普通の時は、ただ普通でいてください

『存在』が、
その人にとってベストのタイミングで、
たっぷりとスパイスを効かせて(*´ω`*)、
それを起こしてくれます

では、具体的な方法に入っていきましょう♪

1.「その「感覚」に焦点を合わせる」

 まず、実際に何が起こっているのか、
 できるだけ俯瞰的に見れるといいですね

 たとえば、誰かがあなたの「地雷を踏んだ」時や、
 誰かがあなたに怒ったり批判したり、何かネガティブなエネルギーを投げつけてきた時、
 誰かに拒絶されたと感じた時、
 ひとりぼっちの時、
 etc.etc....
 あなたにとっての「鋳型」と思える「感覚」を引き起こされた時、
 人はすぐに防御態勢か、防御のための攻撃態勢に入ってしまいます
 
 そして、いつもの無意識な「反応」を返してしまいます

 慣れない頃は、その「反応」を止めることはできないでしょう

 あなたは、相手に向かって言い返してる自分に気づいたり、
 怒って拗ねたり、
 泣き叫んだり、
 頭や心の中で、言い訳や相手への攻撃を繰り返したりしている自分に気づきます

 否応なく「反応」に巻き込まれてしまった時は、
 後で少し冷静になった時に、
 実際には何が起きたのか、クリアに見ていきましょう

 そして、何より重要なのは、
 自分自身が本当に感じていたのは何なのか、
 明確に知ることです

 その時、あなたは怒ったかもしれない
 でも、本当は悲しかったのかもしれません

 その時、あなたは一生懸命言い訳を述べ立てたかもしれない
 でも、本当は傷ついた自分を認められなかったのかもしれません

 その時、
 あなたの内奥の、柔らかな部分が、
 本当は何を感じていたのかを、
 よく調べてみてください

 それは、一時的な感情に覆い隠されているかもしれません

 でも、「鋳型」と言えるものは、感情というより、
 もっと長い間続く「感覚」であることが多いと思います

 それを見出したら、
 その時の状況や相手のことは脇において、
 その「感覚」に焦点を合わせてください

2.「なぜ、私はこう感じたのか?と自分の奥深くに問いかけていく」

 その「感覚」に焦点を合わせることができたら、
 次に取る方法は、
 大きく分けて2つあります

 まず、そのひとつは、
 「なぜ、私はこう感じたのか?」
 「なぜ、私はこう感じているのか?」
 「この感覚の大元は何なのか?」と、
 自分自身の中に深く問いかけていくことです

 これは、「感覚」に辿り着く前の、感情に対しても使うことができます
 
 「なぜ、私は怒ったのだろう?」
 「なぜ、私は痛かったのだろう?」
 
 そうやって問いかけていくことで、
 最終的なその「感覚」に辿り着くことができます

 それは、自分の中で明白にわかります

 「ああ、これだったんだ」と

 もし、わからない場合は、
 頭だけで問いかけている時です

 頭で考えるのではなく、
 ハートの奥に杭を打ち込むような感じで、
 「なぜ?」「なぜ?」と問いかけるのです

 全身の感覚を感じてみてください

 時に、身体の痛みとして感じている場合もあります

 意識が、その「感覚」を感じることを拒絶していると、
 直接にハートの中の「感覚」として感じられない場合もあるのです

 また、ハートが閉じてしまっていると、
 かなりわかりづらいと思います

 どうしてもわからない場合は、
 まず、ハートを開いていくことから始めていきましょう

 ハートに呼吸をいっぱい入れて、
 ハートに手を当て、そこを感じていきます
 そして、
 そこで感じていることを自分に許していきましょう
 
 ハートを開いていくことは時間がかかります
 時間をかけて、ゆっくりと少しずつ、
 自分のハートとのつながりを取り戻していきましょう



 もう一段深く、自分の心理の仕組みを知るために、
 もっと具体的に問いかけの方法を取ることもあります

 A:具体的な状況や相手の言葉など    B:それに対する自分の反応
 「なぜ、Aに対して、自分はBという反応を起こしたのか?」
 →「Aに対して、こう思った、こう感じたから」
 →「なぜ、Aに対して、こう思ったのか?こう感じたのか?」
 というように、
 どんどんと掘り下げていくのです

 Aに対してBの反応を取るのは、自分にとっては当たり前のことと感じますが、
 必ずしも、全員がそう反応するとは限らないのです

 そうやって掘り下げて行くことで、
 自分の潜在意識の構成を知っていくことができます

 いわばコンピューターのプログラムのように、
 Aというインプットに対しては、Bというアウトプットをする
 Cというインプットに対しては、Dというアウトプットをする
 というそのプログラミングについて、熟知していくのです

 それによって、「反応」との距離がなかった人も、
 そこに距離を持ち、「反応」に巻き込まれることが減っていきます

 ただし、これは「知」の人にとってはやりやすいでしょうが、
 感覚的なタイプの人や、「愛」の人にはやりにくいと思います

 それでも、やってみる必要はあります


 重要なことは、
 いずれにしても、その問いかけの答えは、1足す1は2、2足す1は3、というように、
 頭の中で考えて段階式に出てくるものではない、ということを覚えておいてください

 ある意味、唐突に「理解」がやってきます


 たとえば、私の場合、寝る前にその「感覚」に開いて、
 「なぜ?!」と深く強く、問いかけていきます
 ハートの奥底に、まさに「なぜ?」という杭を打ち込むようにです
 「何を学ばなければならないのか?」と問う場合もあります
 「大元は何?」と問う場合もあります
 すると、
 大抵は明け方にふっと目が覚めて、
 突然「理解」がやってくるのです

 何か、全く別の、日常の些細なことをやっている時に来る場合もあります

 このように、突然「理解」がやって来る場合、
 同時に大きな浄化が起こり、解放されます

 多くの場合、慟哭の涙が、やがて感謝の涙に変わります

 深く溜め込まれたものが浄化され、解放される時、
 涙となって溶けて出るのです

 これがまさに「恩寵」です

 人が本当に真摯に、全身全霊で自分に問いかける時、
 この「恩寵」は必ず介入してきます

 人が全身全霊で何かを成すということは、
 すでに魂とのつながりの中で成しているからです

 頭だけでやらないでください

 やっているつもりでも、
 自分の中に「逃げ」がある場合があります

 その「逃げ」を作る余裕もないほど、追い込まれないと、
 なかなか人は全身全霊にはなれません

 そこもよく、自分で見てください



3.「感じきる」

 もうひとつの方法は、
 その「感覚」を感じきる、という方法です

 トータルに感じる

 完全に、その「感覚」に開く

 その「感覚」の中に飛び込む

 100%、感じきるのです

 
 通常、その「感覚」は嫌なもの、不快なものですから、
 人は無意識にセーブしています

 身体をぐっと緊張させ、
 その「感覚」ができるだけ出てこないようにするのです

 実は、何かが起こった時に、
 相手や状況に意識が向くのも、
 この「感覚」から目を逸らせるためなのです

 なので、
 意識を他に向けず、
 「感覚」に集中して、それを完全に開くのです

 出し切るのです

 100%感じきれた瞬間、
 膨大な浄化が起こります

 それは完全に解放されるのです

 実は、
 これは神と出逢う手段でもあるのです

 本当に100%その「感覚」に開けた瞬間、
 神とともにいるのを体験するのです

 ずっと、神に見守られていたこと、
 ずっと、神に抱きかかえられていたこと、
 ずっと、神に愛されていたこと

 それを知ります

 その一瞬前まで、あなたは苦しみの中にいたはずなのに、
 その次の瞬間、あなたは歓びと感謝に身体を打ちふるわせているのです

 
 だから、実は、
 「鋳型」とは、神に至るひとつの通路でもあるのです

 あなたが苦しんでいる時、
 あなたが痛みに耐えかねている時、
 実は、あなたは限りなく神に近いところにいるのです

 その痛みを突き抜けた時、
 あなたは神とともにあります

 
 この、「感じきる」という方法は、
 ネガティブな感情にも使います

 たとえば怒りを感じた時、
 内側でその怒りを感じきってみてください

 外側に出してぶつけるのではなく、
 内側でぼわっと、そのエネルギーを完全に放出するのです

 気持ちいいですよ~♪

 怒りのエネルギーは本当に美しい

 まさに、不動明王の怒りですね

 100%怒りを感じきれたら、
 その瞬間、そのエネルギーは歓びのエネルギーに変わります

 怒りは、純粋なエネルギーなのです

 怒りも歓びも、表裏一体の純粋なエネルギーなのです

 でも、
 妬みやそねみ、恨みつらみは純粋なエネルギー状態とは言えません

 怒りや悲しみがねじくれて内向した状態です

 怒りはいけないもの、と抑圧することで内向し、
 澱み、ドロドロの粘ったエネルギーになります

 そういうエネルギーは、一旦、純粋なエネルギーに転換してから、
 感じきりましょう

 その場合も、
 「なぜ、私はねたんでいるの?」
 「このねたみの大元は?」
 「私が本当に感じているのは?」と問いかけることです

  
 内側を抑圧して内向したゴミでいっぱいにすると、
 病気にもなるし、
 無意識にそのゴミを周りにまき散らしてしまいます

 それを受けた人がまた別の人に・・・と、悪循環が起こります

 スピリチュアルを自称する人でも、
 そこに無意識な人が多すぎます

 抑圧するのはいけないからと、
 人に出しまくる人が多過ぎます

 それは、大いなる勘違いです

 感情そのものは、何も悪いものではなく、
 人生を豊かにするために人に贈られた贈り物でもあります

 内側でそれを感じきること

 その時、あなたのその感情の表現は、
 美しさを伴います


4:「身体から働きかける」

 次回に続きます

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 

 


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