2016年12月12日月曜日

「鋳型」とは 「プログラミングとインナーチャイルド」つづき

以前、「プログラミングとインナーチャイルド」というタイトルで、
パーソナリティといういわばコンピュータがどのようにプログラミングされているか書き、
そこで、
そもそも、そのプログラミングの傾向を決定づけるものとしての「鋳型」について、
言及したかと思います

「下塗り」と表現することもあれば、
「フィルター」と言うこともありますが、
その人のあらゆるアウトプットだけでなく、
インプットされる情報の全てをその「鋳型」によって色づけてしまうものです

つまり、
私たちはその「鋳型」によって、
あらゆることをコントロールされているとも言うことができます

これまでの人生を振り返って見てみてください

いつも、最終的に行きつく感覚
いつも、味わう同じ感覚

実人生の中で、
周りの人々との関係性の中で起こる、
様々な事象を通して、
いつも最後に辿り着く感覚です

それを感じ続けようとすると、
じわーっと全身を蝕むような、
それに取り込まれてしまうような、
なんとも表現しがたい、とても嫌ーな感覚に襲われ、
気を抜くと、ふっと身体のどこかが緊張して、
その感覚を感じないようにしてしまうようなものです

その感覚が浮上すると、
呼吸も浅くなり、ともすると息もできない状態になります
あるいは、
「もう生きていけない」とさえ、思うかもしれません

その事象の相手や細かな状況、つまり「ストーリー」は違っても、
自分の内側で出て来る感覚、
ハートの痛みなど、
内側で体験している感覚はいつも同じであることに気づいた時、
人はその「鋳型」に触れていると言えます

それは、
人によって、
深い孤独感だったり、
深い罪悪感だったりします

深い恐怖であるかもしれません

「深い」とつけたのは、
まさに、その人の中で、
「最も深い感覚」と感じるものだからです

この「鋳型」こそが、
私たちを苦しめているものであり、
同時に、
パーソナリティを形づくり、
私たちを「人間」にしているものでもあります

もし、この「鋳型」がなければ、
私たちは人間として肉体化することができません

正確に言えば、
「人間」として肉体化するために、
光の存在としての私たちは「人間」のイデアを通過しますが、
それが個性あるパーソナリティを形成するために、
さらに個々の「鋳型」を通過するといえるでしょう

それは、
輪廻転生という長い時間をかけて、
その人が鋳造してきたものでもあるのでしょう

もし、
人がある生において、その「鋳型」に気づくことなく、
ただ振り回されて終われば、
その「鋳型」はどんどんと強固なものになっていってしまいます

「鋳型」に意識的であろうと無意識であろうと、
それによってコントロールされ続けることに変わりはありませんが、
無意識であればあるほど、
実は、その影響を色濃く受けてしまうのです

ですから、
まずはその「鋳型」に気づけること、
それが重要です

でも、
それはその人にとって、
「最も嫌な感覚」でもあるので、
それを真正面から見て、感じ、開いていくことは、
言葉で言うほど簡単なことではありません

もう、それこそ無意識に、
身体のどこかを緊張させて、
その感覚をシャットアウトしてしまいます

人生の中で、
何か、問題が生じる

そして、その「感覚」がちらっと浮上してくる

でも、普通は、その感覚を感じたくないので、
怒ってみたり、
愚痴を言ってみたり、
あるいは、
カラオケに行ってみたり、
スポーツをしたり、
ありとあらゆることで気を紛らわせようとします

あるいは、ちょっとスピリチュアルな人は、
ポジティブなことだけに目を向けたり、
「私は大丈夫」「私はオッケー」と、
マントラを唱えたり、
「これが浄化されますように」と、
真摯に祈ったりします

そうすることで、
一時的にそれは去ったかのように感じられることもあるでしょう

でも、
残念ながら、
それはあくまでも一時的なものに過ぎません

本当に、その「鋳型」が取り去られたわけではないからです

その感覚がまた奥深くへと潜っていってしまうと、
私たちは「ふー、やれやれ」と胸をなでおろし、
そんなものがなかったかのように明るくふるまい、
忘れ、
そしてまた、
何かの問題が起こると浮上し・・・
と、繰り返し続けるだけです

精神衛生上は、
それも大切なことではあります
そうでないと、
本当に鬱になってしまうかもしれません

でも、
もし、あなたが本当に霊的進化の道を歩もうと思うのなら、
それで終わってしまってはだめなのです
進化はいつまでたっても起こりません

そこから逃げてはだめなのです

真にそれと向かい合い、感じきり、解放し、
そうすることによって取り除いていかなければならないのです

こうやって書いていくと、
「鋳型」は何かとてもネガティブなものに感じられてしまいますが、
実は、
同時にそれは、
私たちを「進化」へと押しやるものでもあるのです

言い方を変えれば、
私たちは進化するために、
わざわざそういう「負荷」を自らに与えた、とも言えるのでしょう

永遠に幸せで楽しい天上界の存在は悟れないと言うように、
そういう「負荷」があり、
そういう「苦しみ」があるからこそ、
そこから脱し、真の幸せに到達したいというモチベーションが強まります

実は、
悟るためには、
かなりのモチベーションを必要とします

情熱がいるのです

渇望がいるのです

そこに到達するだけの、
ものすごく強いエネルギーを必要とするのです

「ここ」で苦しくなかったら、
その「渇望」は起こるでしょうか?

「死ぬか、悟るか」というほどの決意がなければ、
どんなにワークしても、
悟りに到達することはないでしょう

逆に言えば、
本当に「死ぬか、悟るか」の本当の決意が起こった人は、
次の瞬間、
悟りを知るでしょう

「鋳型」は、
あなたをそこまで連れていきたいのです

そのことを知り得た時、
自分の内側に浮上してくるネガティブな感覚に対する態度が変わります

また、
そのきっかけとなった相手に対する態度も変わります

それでも、
もちろん、
マインドは納得せず、
「あの人が悪い、この人が悪い」「こうすればよかった、ああすればよかった」「あーだこーだ」と、
ぶつぶつ言い続けるかもしれませんが、
探求者であれば、
それに耳を貸さず、
内側に浮上しているその感覚に真正面から向かい合うべきです

体験したからこそわかりますが、
それは、
実際、超大変です(;´Д`)

誰にでもできることとは思いません

「そんなことできない」、それが普通でしょう

正直、稀有なことだと思います

でも、
もし、
あなたの「悟り」への渇望が本物であれば、
あなたが誠実に真摯にそれに向かい合おうとすれば、
それを成していくことができるでしょう

なぜなら、
そういう魂の叫びに、
神は必ず応えてくれるからです

存在達は、
それを待っているからです

私たちもまた、
そういう魂に心からの応援とサポートをしています

「道」は決してたやすくはありませんが、
あなたを真に、トータルに変容させていきます

今、
まさにそれと向き合っている方々、
「暗闇が濃ければ濃いほど、光は強く、近い」という言葉を糧に、
踏ん張ってくださいね

光は、
必ず訪れます

なぜなら、
それがあなただからです










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