2016年8月15日月曜日

プログラミングとインナーチャイルド ~深層心理(潜在意識)へのワーク~

スピリチュアルな進化の「道」において、
ダイレクトに真我を目覚めさせることと、自我であるパーソナリティを浄化させることは、
両輪の輪のようにどちらも重要な要素だ

たとえ瞑想で非常に深い境地に達しても、
自分の心理のパターンに捕らわれたままであることはよくあることだ

そうすると、社会の中で人生に戻ったとたんに、
その低い振動数に引っ張られてしまい、
地上にフックされ続けてしまう

それらは同時に行っていくのがいいが、
実際には、I Amが少なくともある程度は目覚めていないと、
パーソナリティの浄化は本当の意味では成しえない

というのも、
パーソナリティに完全に糊付けされ、
それと同化してしまっている状態では、
どうしようとそれに巻き込まれざるを得ないからだ

そのため、
私たちのワークでは、
まず、I Amを目覚めさせていく

そして、それがある程度安定化してきた生徒さん達には、
自然とパーソナリティの浄化に向かうタイミングがやってくる

自分のマインドで本当に起こっていることを、
内観し、洞察していくことが始まる


さて、
では、パーソナリティの浄化、内観、自己洞察といっても、
何をどのようにしていけばいいのか?

何をどのように見ていくのか?

何をどのように深め、
何をどのように癒し、
何をどのように解放していくのか?

それにはたくさんの要素があるし、
たくさんの切り口がある

深層心理学的アプローチもあれば、
近年流行り始めたシンクロニシティや「流れ」などという、
人生の裏側にある真の意味を深く洞察し、
人生そのものをポジティブに生きていくアプローチの仕方もある

最近では、もっと新しいものも現れているかもしれない

実際には、
それらが総合的に機能していく

重要なのは、
それを行っていくという意図を強く持つことだ

それは、どんな方法を取ろうと、
魂のブループリントに沿うことであり、
その意図を持つことで、
恩寵の力が働き始める


とはいえ、
何の知識もない中でそれらを行っていくのは、
実際には不可能だろう

それらを理解するための一歩として、
まずは基礎的な深層心理のしくみについて書こうと思う




その一つの大きな要素が、
「プログラミング」というものだ
「条件付け」とも言う

まず、私たちという存在は産まれた時点で、
ある意味、「白紙」ではあるが、
実際には「カルマ」によってある鋳型が形成されている

「下塗り」と言ってもいいし、
「フィルター」という言い方もある

それは、産まれた時点である特定の振動数を内側に持ち運んでいるということだ

だが、それは何も悪い意味だけではない

それは、実のところ、
魂の特質を、ある意味反映しているからだ

もちろん、通常「カルマ」と言う時、
ネガティブな意味合いで、それらを何世にもおいて持ち運んでいることを言うが、
それはコインの裏表のように、
魂の特質がネガティブな方向に現れてきているものとも言えるのだ

言い換えれば、
魂の本当の「望み」に関係しないものは、
持ち運びようがないのだ

たとえば、
愛を実現したい魂は、
愛に餓えている、というように

だから、
「カルマ」というものも、
実はポジティブな意味合いがあるのであり、
毛嫌いする必要はないことを忘れないで欲しい

むしろ、「カルマ」がわかれば、
そこから魂の特質を見出すことができる

それは、魂の「チャレンジ」なのだ

が、
もちろん、その「カルマ」に引きずられているだけでは、
進化は起こらない

さて、
その「鋳型」を下地剤として、
私たちは産まれてから育つ環境によって、
およそ3歳までにほとんどのプログラミングをなされ、
およそ7歳までにほとんどの心理パターンができあがる

プログラミングというのは、
コンピューターのように、
ある外界からの刺激、情報などのインプットに対して、
いつも特定のアウトプット、つまり反応を起こすよう、
固定化されていくということだ

それらは、3つ児の魂100までというように、
およそ3歳までに基礎は固められ、
およそ7歳までにそのバリエーションが完成されると見ていいだろう

私たちは、7歳の時にやっていたことと同じことをずっと繰り返しているのだ


「鋳型」は、
プログラミングの方向付けをするものと言ってもいいだろう

たとえば、
Aという刺激、もしくは情報、感覚、体験というインプットに対して、
Xというアウトプットをプログラミングするか、
Yというアウトプットをプログラミングするかは、
その「鋳型」の振動数によるし、
そもそもが、
Aというインプットをより強く引き付けるか、
それともBというインプットをより強く引き付けるかも、
その「鋳型」による

そうして、
各自ユニークなプログラミングを形成していく

だが、
それに使う「想念」や「感情」という諸要素は、
いたって「集合的」なものだ

つまり、普通「私の考え」「私の気持ち」と思っているが、
それらは「集合的」なプールから拾い集め、引き寄せたものに過ぎない

そのため、
実はパーソナリティそのものが「非個人的」と言うことも可能なのだ

「非個人的」で「集合的」な「想念」や「感情」という積み木を、
プログラミングに従って組み合わせた積み木細工が、
パーソナリティだと言っても過言ではない

だから、そこに「実体はない」というのだ


さて、ここで、もうひとつの観点から見て行こう

そのプログラミングの過程において、
私たちは人間として自然に備わっている、ある基本的な「欲求」を満たしていこうとする
(トランスパーソナル心理学)

その基本的な「欲求」とは、
1、「生理的欲求」・・・・・・・生存のための欲求。空気、水、食物、睡眠など生存可能な環境を満たす欲求
2、「安全・安心の欲求」・・安全で安心して生きること、保護されることへの欲求
3、「所属と愛の欲求」・・・愛されること、ある特定の家族に所属し、その中で愛され、居場所があることへの欲求
4、「承認欲求」・・・・・・・・自分が周りの人から承認され、尊敬されることへの欲求
5、「自己実現の欲求」・・自分がなりたいもの、やりたいことの実現への欲求
そして、
6、「自己超越の欲求」・・自己を超越した大いなるものへ到達する、至高体験、悟りへの欲求


私たちは育っていく上で、
1~5までの基本的な欲求を満たそうとするが、
その環境において、
必ずしもその欲求が満たされるとは限らない

ほとんど全員が、
どこかで何かの欲求が完全には満たされないまま、
大きくなっていく

完全には満たされなくても、
まあまあ、そこそこ満たされていけば、
私たちは大きく損なわれることなく、
自然に成長を遂げていくことができる

だが、
何かの欲求がどこかで大きく損なわれると、
その欠損を抱えたまま、
人は成長していかざるを得なくなる

その場合、
人はその欠損が起きた地点をそのまま抱えていくことになる

それが「インナーチャイルド」と言われているものだ

先に述べたが、
およそ3歳までに、これらの欲求のうち何かが大きく損なわれると、
その損なわれて傷つき、縮こまった時の年齢のまま、その状態のまま、
ずっと内側深くに凝り固まってしまうのだ

大きく開いた穴を、そのまま内側に隠し持つことになる

それは、傷ついたちっちゃな子どものまま、
成長できずに、
内側で暴れ続け、
人をコントロールし続けていく

そこで欠損したものをどうにかして周りの誰かから手に入れようと、
あがき続けることになる

その手口は大人になるほど巧妙になっていくかもしれないが、
深く突き詰めて行けば、
「~が欲しい!~が欲しい!」と欲して、
駄々をこねていることにちっちゃな子どもと変わりはない

まあ、現代の日本に生まれ育った人であれば、
1の生理的欲求や2の安全・安心の欲求が大きく損なわれることはあまりないが、
育児放棄や虐待の体験がある人は、
その1や2の欲求すら満たされないままである可能性が高い

過剰もまた、欠損と同じ結果をもたらす

適切でない限り、それは何らかの欠損という形になって残る

3となると、もっと微妙になってくるだろう

食事や睡眠など、最低限のことは保障されていても、
その家庭の中で居場所があるとは限らない

4ともなれば、かなりの人が満たされないままだろう

ありのままの姿を、すっぽり受け入れてもらって愛されたという実感の持てる人は、
そう多くはないだろう

人は「しつけ」と称して、
否定され続けることが多いからだ

あなたはあなたとしていることを許されず、
周りの大人や社会にとって都合の良いように、
条件付けされていく

そして、そのように欠損した欲求は、
小さな錘のように、
人を引っ張り続ける

いつもいつも愛を求めては得られず、
いつもいつも認められたくても認められず、
人はその体験を強化し続けていく

いつもいつも、
同じパターンに嵌まり込む

それは、
内なる子ども、インナーチャイルドがその人を支配し続けるからだ

インナーチャイルドが、
人を強烈にプログラミングしていく

それは、周りの環境という外側と、
インナーチャイルドという内側から来る二重のプログラミングだ

それに人は振り回され続ける

そして、満たされなかったものが、
誰か他の人によって満たされる期待は、
残念ながら叶うことはない

そのインナーチャイルドを内に持ったまま大人になった人を、
「アダルトチルドレン」という

よく、「地雷を踏む」と言うが、
何か大きな反応が起こる時、
反応しているのは、そのインナーチャイルドだ

だが、強烈なインナーチャイルドを持っているからといって、
自己実現や自己超越の欲求に辿り着けないわけではない

むしろ、そこでのどうやっても満たされない苦しみが、
私たちを自己実現や自己超越の欲求へと駆り立てることがある

その強いモチベーションとなりうるのだ

だから、この「インナーチャイルド」も、ネガティブな側面だけではない

それもまた、神へと向かうための、魂の「チャレンジ」なのだ

それらが、
私たちの心理を形づくっている大きな要素となっている




私たちが「進化」への「道」で成していく浄化のワークは、
このプログラミングを外し、
インナーチャイルドを癒し、成長させていくことだ

それは、
本当の素のあなた自身を顕していくことだ

それは、
抑圧されたあなた自身に「イエス」ということだ

それは、
あなたの中の、小さな子どもの生の叫び声を、
あなた自身が直接に知るということだ

そして、その小さな子どもを抱きしめ、
愛し、認め、
開いた穴を塞ぐことができるのは、
あなた自身に他ならない

















2 件のコメント:

  1. 真我を目覚めさせることと、自我であるパーソナリティを浄化させることは、どちらも大切ですよね。

    真我を目覚めさせても、パーソナリティが浄化されていなければ、現実が余計に大変になったり、現実に活かすことができなかったりしますよね。

    パーソナリティが浄化されても、真我が目覚めてなければ、何のために体を通して現れたのかが見えてきませんよね。

    そして、特に大切なのがプログラミングを解くことだと感じています。

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  2. コメントありがとうございます
    本当、まさにそうですよね

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