2016年7月27日水曜日

「支援員」がいらなくなること

先ほどのブログで、
私が障碍者を「絶対的にケアの必要のある人」と見ていると書きましたが、
それはあくまでも今の時点では、ということであることを、
付け加えておきます

私の目標は、
私たち「支援員」が必要なくなることです

障碍の程度やその特質によって、それは大きく異なりますが、
少なくとも、私が関わっているB型支援の福祉施設に通っているような人たちに関しては、
いつか、私たち「支援員」がいなくても、
社会の中で彼らが十分に安全に幸せに生きていけるようになること、
それが私の願いです

そのためのまずの目標として、
彼らが施設を自治で運営していけることです

あくまでも全て彼らのペースで、
彼らの都合で、
彼ら同士、コミュニケーションを図り、
仕事の相手先との交渉もし、
仕事の段取りもし、
仕事をし、
施設の管理もし、
問題が起きれば彼らで相談し合い、
解決していく

今の社会のように、効率を優先したり、
利益をあげることを優先するのでは、
もちろん、その可能性は低くなってしまいますが、
そうでなければ、
それだけの力を彼らは持っているのです

実際には、組織を運営していくための支援や、
多少の交通整理としての支援が必要な時もあるでしょうが、
基本的には、
その中身に関しては、
彼らが主導で進めていくのです


それがもっと進めば、
プチ福祉施設が社会のあらゆるところに存在するようになること、
言い換えれば、社会そのものが福祉施設になっていくこと、
そして、それと同時に、
彼らも彼らなりの社会の中で生きていく方法をもっともっと見出し、
自らを表現していく力をつけていけるということです

極端な言い方をすれば、
彼らを健常者に近づけようとするのではなく、
社会が彼らに近づいていくということです

彼らに寄り添い、ともに生きていく社会です

そういった社会は、私たちにとっても幸せで楽しい場になると思います

そのためには、
経済第一優先の経済信仰が終わり、
内面の豊かさ、霊的な発展が優先される社会が実現される必要がありますが、
この先、人類はそちらに向かって進まざるを得なくなると思います

そのために、
彼らから教わること、受け取ることは本当にたくさんあります

本当は、そのために彼らという存在がいるのではないかと、
密かに思っている私です



ですが、
この私の目標に対して、
今の段階で、
同じ職場で同意を得られるのは良くて一人か二人でしょう

大半は、
「そんなの無理に決まってるでしょ!」と、
一言下に却下するでしょう

社会は厳しいものだ!それを彼らも知らなくてはならない
それこそが彼らのためだと信じて疑わない職員が多いのです
まだまだ、それが現実です



知的障碍というと、
読み書きが不得手だったり、
計算ができなかったり、
形の認識力に欠けていたりなど、
そういった知的な面における未発達さや、
感情的な未発達、
また、
むしろその敏感過ぎる感受性のためと、
それを表現する方法がわからないために、
人とのコミュニケーションにおいて難しさを感じることなどが特徴ですが、
実際には、
それに精神障碍が重なっているケースが多く、
そのあり方はより複雑になっています

私が関わっている中で感じたことは、
これはあくまで、軽度の障碍の方のケースですが、
その人の障碍の特性そのものより、
両親に「受け入れられているか」どうかが、
集団の中でトラブルとなる行動や現象の現れに大きな影響を与えているということです

両親に受け入れられて、
十分に愛情を受けている人の場合、
障碍の程度、質にかかわらず、
穏やかで、他の人からも愛される傾向が強く、
障碍があることを親が本当には受け入れていない場合、
不安定になりがちで、
深刻な場合は精神障碍を伴い、
非常に不安定で攻撃的になり、
他の人たちとトラブルを起こす傾向が強いのです

もちろん、
単純に親の愛という問題ではなく、
その周りの環境や、社会の体制など、
本当に様々な要因がありますし、
親となった方々は、どの方も、
その社会がもたらす重荷を背負い、
精一杯にできることを果たされているのは確かなので、
その親御さんを責めるつもりは全くありません

ただ、少しでもその点に関して、
お互いに心を開いて話し合ったり、
少しでもその重荷を降ろしてあげられたらとは思うのですが、
それすらなかなか難しいというのが現状です

自分の子どもに障碍があるとわかった時、
それを受け入れるのは、
口で言うほど簡単なことではないでしょう

どれほど、そのご両親たちがこの社会の中で、
「いっぱいいっぱい」になっているか、
深い胸の内で、どれほど傷ついているか、
それは痛いほど伝わってきます


五体満足で、健常の子どもですら、
私たちの多くは、そのあるがままを受け入れたりしません

障碍があろうとなかろうと、
本当にあるがままを「受け入れられている」子どもは少ないでしょう

それ以前に、
あるがままの自分を受け入れることがどれだけ難しいか

やはり、
一人ひとりがそこから地道に取り組んでいくしかないのだと思います










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