2015年10月27日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その6 初歩的な「観察」

「パーソナリティの浄化方法 その5」までに書いたように、
自分自身の言動、行為、感情、感覚、思考、
その奥にある潜在的な素因に意識の光を当て、
自分自身をこの地上にフックしているものを解放していくことは、
スピリチュアルな道を歩む上で、必須であることは、
すでに理解していただけたことと思います

日々の瞑想とともに、
この日々の浄化をしていく上で、
正直さと誠実さ、クリアさ、忍耐強さが要求されますが、
これは魂の探求者として本当に大切な資質です

それは、魂の進化とともに、
また、浄化が進むにつれ、
徐々に養われていくものでもあります

とはいえ、「パーソナリティの浄化 その1~5」に書かれていることは、
実は「上級編」とでも言うべきものかもしれませんね

目覚める前、マインドはとても複雑です

それは断片的で、表層的で、
移ろいやすく、いつも混乱しています

それらは、バラバラにされたジグソーパズルのようなものです

[フリー画像素材] バックグラウンド, ジグソーパズル ID:201408181000

混沌以外の何物でもありません

人はあらゆる行為、言動、思考、感情の吐き出しなどをしますが、
それをしている「主体」がまだいません

皆、「私は~している」「私は~思う」「私はうれしい」「私は悲しい」と思っていますが、
その「私」はまだ潜在意識的で、意識は常に外側の対象に向けられ、
「私」は常に感情や思考と同化しています

感情や思考といったマインドという「内容物」のない、
それらとは何の関わりもない、純粋な「私」をまだ知らないのです



もちろん、誰でも、ほんの一瞬、それが現れ、
その純粋な「私」の香りをほのかに味わうことはありますが、
すぐに、またいろいろな「内容物」に意識を逸らされ、
それらに固着していってしまいます








そういう段階の人は、
集合的な潜在意識を映し出す、単なるモニターに過ぎません

「私の考え」と思っているかもしれませんが、
それは、集合意識から浮き上がってきたひとつの思考のエネルギーに過ぎません

目覚める前の私たちは、
たとえどんなに「私は特別」と感じていようと、
残念ながら、
集合的なものの単なる寄せ集めに過ぎないのです


その状態でマインドの浄化をしていくことは、
最初は困難で、大変な労力を伴うことはごく当たり前のことです

なので、
道に入って間もない人、浄化がまだ進んでいない人は、
内側の「観察」から始めることが必要です

自分の思考、感情、
なんであれ、自分の内側に起こることを「観察」するのです

太郎次郎の人間観察BLOG

「観察」するためには、
「観察するもの」と「観察されるもの」との間に距離がなければなりません

鏡に顔をくっつけていては、
顔を見ることはできません

そうして、まずは、自分の中に「距離」を作るのです


同時に、その「観察」を行うのは「知性」ですから、
日々の中で「観察」を行うことは、
「知性」を発達させていきます

とはいえ、
マインドに完全に「糊付け」されている状態では、
その「観察」ですら非常な困難を伴うことでしょう

一般的なほとんどの人は、
自分の感情や思考に溺れて、窒息しています

そこに何のスペースもないからです

一瞬、「観察」しても、
すぐにまた思考や感情の渦に巻き込まれ、
その海に溺れていってしまうでしょう

「観察」することもすぐに忘れてしまう

そういう人は、呼吸も非常に浅い状態です

ハートや下腹とつながっていず、頭だけにエネルギーがある状態です

もう、頭が沸騰している状態です

∫∫∫
(@_@;)

現代人のほとんどがそうです

「いっぱいいっぱい」というやつですね(・∀・)

皆、本当に自分の中に浮き上がってくる思考や感情で頭が忙しくて、
いっぱいいっぱいになっています

ですから、まずは下腹への深い呼吸を毎日の日課として、
エネルギーを下に落としていく必要があります

エネルギー的に変化を与えることは、非常に重要です

Abstract blue background

そして、「思考や感情は私ではないもの」と、
ちょっと脇によける

自分の思考や感情に、あまり重きをおかないようにします

大体がそれらを重要視しすぎて、
「もう!腹が立つ!」とか「え?そんなのおかしいんじゃない?」とか、
「~が欲しい!」とか「どうしよう、こうしよう」と、
自分の中の思考や感情にいちいち大騒ぎしすぎているので、
そこに「私はそれらより、何かもっと大きなものだ」という視点をもたらしてあげる

[フリー素材] 地球と太陽光のイラスト (cc-library010007042)

すると、それらをちょっと脇に置いておけるようになります

日常の生活に追われているなら、
頭の中であれこれ悩んでいる誰かとの関係性より、
「自分は今、この宇宙の中の地球という星に生きている」ことの方が、
はるかに確かな事実であることを、思い出してみるのもいい方法です

[フリー画像] 自然・風景, 天体・宇宙, 銀河・星雲・星団, 201109051900

限りなく広がる大空に目をやり、
自分が立っている大地を足で踏みしめてみる
そして、深い呼吸をしてみる

そうすると、何か自分の中にスペースが生まれてきます

それまで、思考や感情で満杯になっていた内側に、
何か何もない空間のようなものが生まれるのです

白背景の撮影スタジオ風の高画質な画像素材5枚セット

それをリラックスと呼ぶこともありますが、
ただくつろいでいる状態というよりも、
何か、自分の中に開けたスペースがあるという感じです

そのスペースがないと、「観察」どころか、
波にもみくちゃにされて息も絶え絶えのまま、生を送ることになります

深い呼吸と、「私は思考や感情ではなく、それらよりもっと大きなもの」という視点とともに、
そこから生まれたスペースから、
自分の思考や感情を「観察」していきます

「観察」する、ということは、
自分は、今自分が「観察」しているその対象物ではない、ということです

つまり、
誰かに怒りを感じたとして、その「怒り」を観察します

「観察」する前は、自分はその「怒り」と同化して、
「怒り」にすっかり飲み込まれていました


でも、「怒り」を観察すれば、
自分はその「怒り」ではないことがわかります

そして、「観察」がうまくできるようになると、
その「怒り」自体が消えてなくなってしまいます

でも、「観察者」は消えません

この「観察」は、
自分が、「観察」している対象物ではない、と知ること、
そして、自分の中に「距離」を作りだすことが目的です

そして、マインドと同化してべったり糊付けされている状態から引き剥がし、
真の自分へと向きを変え、それを認識できるだけの「知性」を育むためです

あなたはもはや、マインドと同化せず、
あなた自身が何かもっと違うものだと知り、
それを探し始めます

それこそが、
最初のパーソナリティの浄化なのです

マインドとのべったり同化の状態に、わずかな隙間ができること
それこそが、最初の浄化なのです


隙間ができれば、
そこから光が差し込みます

あなたは、その光に照らし出された「自分自身」を見つけることができるようになる

それが、最初の一歩です


ただし、
この「観察」は、道の初期段階のある程度の期間やるべき修行で、
長年にわたってやるべきことではありません

それを何年も続けてしまうと、
それを落とすのが大変になってしまいますし、
自分の中に乖離が生じてしまいます

真の自分、純粋な「私」を直接に認識できるようになったら、
この「観察」は手放していいものです

真の自分、純粋な「私」にとどまっていられるようになったら、
そこから、自分の潜在的なマインドの浄化を行っていけるようになります




2015年10月20日火曜日

パーソナリティの浄化方法 その5 自分の中で起こっていることに意識的になること

一般的な人は、
通常、自分の内側で実際に起こっていることに対して、
無意識です

それは、
自分が怒っているとか、
悲しんでいるとか、
楽しいとか、
そういう感情に気がついていないという意味ではありません

誰だって、今自分がどういう感情を体験しているか、知っています
そんなのは当たり前のことですよね(*^ー^*)

ここで取り上げるのは、
そういう表面的なことではありません

たとえば、
よく「地雷を踏む」という言葉がありますね

何か、その人にとって触れてはいけないところに触れた時、
人は過激に反応して、怒りを爆発させたりします

それで、「地雷を踏む」とか「逆鱗に触れる」とか言いますね

その人は、表面上は怒っていますが、
では、その奥でその人が体験していることは一体何なのでしょう?

それは、しっかりと蓋をしている大きな痛みに触れていたり、
見ないようにしている恐れに触れたりしているのです

でも、それは体験したくないことですから、
そこに触れられた瞬間に、無意識的に怒りに転換してしまうのです

でも、どうしてそこまで怒るのか、
自分でもよくわからないのです

でも、触れて欲しくないところであることは、
なんとなくわかっています

そういうこと、思い当たりませんか?

また、たとえば、
母親が子どものためだと思って「勉強しなさい」と言う

でも、「勉強しなさい」と子どもをせっつく本当の理由は、
「自分の子どもが悪い成績を取って、自分が恥をかきたくないから」とか
「自分の見栄のため、自分が優越感を感じたいから」だったりします

たとえば、
相手のために何か一生懸命やってあげる

でも、それは相手から見返りとして何かを得るためだったりする
つまり、自分が何かを欲しいから、相手に何かしてあげる

相手の気を引きたいから
認められたいから
愛が欲しいから
優位になりたいから・・・etc.etc.・・・

通常、私たちの行為の裏には、
たいてい何かのこういった「取引」が隠されています

それを、「パワーゲーム」と言うこともあります



そして、
それが得られないと、相手に対して不満を持つ
ひどい場合は、憎しみを持つことさえあります

これもきっと、思い当たることが多いと思います

思い当たる人は、自分をよく見ている人です(*^-^*)

中には全くもって無意識で、
あるいは見ないふりして、
完全な偽善者でいる人もいることでしょう

そういったマインドのトリックに気づいていないのです

あるいは、
小さな自分を大きく見せるために、
人はあらゆることをしています

自分で抱いている自己イメージ通りに相手が自分を見るよう、
あらゆるところで心をくだいています

そして、相手がそのイメージ通りに見ないと、
相手を悪く言ったり、相手を操作しようとします

そういう、「操作」をいたるところでしているのが、
人間というものです

あるいは、憂さ晴らしや八つ当たり

自分の中の不消化のネガティブなエネルギーを、
誰彼かまわずに投げつけます


ここで取り上げるのは、
そういう、表面的な感情の奥で「本当に起こっていること」
もしくは、表面的な行動、行為、言動の陰に隠れている「本意」や「動機」

そういった、自分の中で何かすりかえていること、
マインドのトリック、
そして「操作」や「パワーゲーム」、
もしくは正当ではない無意識的なエネルギーのやりとり

一言で言えば、
「自分が実際にエネルギー的にやっていること」です

それらは全て、エネルギー的に重く、どんよりとして、ねばついています

それらは、私たちをこの地上に縛り付けます

それらは、私たちの生気を奪い取っていき、
私たちをしおれた花のようにします






それとは逆に、
自分の行為や言葉に対して、
あるいは相手の行為や言葉に対して、
「何かひっかかる感じ」を感じることがあります

「何か、ざわつく」感じ

何が引っかかるのか、ざわつくのか、
明確にはわからない

わからないので、なんとなく流して通り過ぎてしまう

なんとなく気にはなるけど、よくわからないし、
「まっ、考えてる暇もないし、いっか」と、
気づかなかったことにする

それも思い当たるのではないでしょうか?

実はそういう時は、
魂からのコールがかかっているのです

何かに気づかなければならない

何に引っかかっているのか、
何に気づかなければならないのか、
「見て」と、魂が呼びかけているのです

それは、たとえて言えば、
釣りをしていて、
海の底の重いごみ(宝かもしれないけど)を引っ掛けて、
釣り糸がクンと引くようなもの

でも、海の上からは、何を引っ掛けたのかよく見えない

釣り糸を強く引っ張ってしまうと、
運がよければごみがはずれて釣り糸は元に戻るけど、
運が悪ければ糸が切れて、針はそこに残されてしまい、
いずれにしても、何に引っかかったのか、わからずじまい

で、ごみ(宝かもしれないけど)はそこに残されたまま


そういう時は、
海の底まで潜っていって、
そのごみ(宝かもしれないけど)を回収しなければならないのです

「海の底 潜り フリー素材」の画像検索結果


何が引っかかったのか、
何に気づかなければならないのか、
深く見ていく必要があるのです

海の底を光で照らし出さなくてはなりません

「海の底 フリー素材」の画像検索結果





そういった、自分の内面に起きているあらゆることにおいて、
本当は何が起きているのか、深く見て、知っていくこと



それは、自分の内面深くに、
潜在意識に意識の光を当てていくということです

「海の底 フリー素材」の画像検索結果


そして、隠れて見えなかったものを、
白日の下にさらしていくということです



それが、
自分の内面に対して「意識的」であるということです

ただ、表面に出てきた感情や思考に気づいているだけでは、
意識的であるとは言えません

「意識的」であって初めて、
スピリチュアルであると言えます

世の中には、全く無意識な自称「スピリチュアル」な人があふれています(^^;

そして、大切なことは、
それは「ジャッジ」するためではないということです

自分であれ、他者であれ、
「裁く」ことは私たちを「真なるもの」から遠ざけてしまうだけです

それは、
潜在意識に隠れていたものを、
白日の下にさらすことによって浄化し、
昇華していくためです

重く、どんよりとしたそれらのエネルギーに、
光を与え、振動数を上げ、軽くしていくためです

「無意識的」である時、
私たちはそれによってコントロールされ、
引きずられてしまいます

「意識的」である時、
私たちはもはやそれによってコントロールされず、
それらを愛を持って包み込むことができるようになります

私たちは、
パーソナリティを「変える」必要はありません

でも、それを「知る」必要はあります

そのことによって、
私たちは透明になっていきます

そのために、
アウェアネスと知性が必要です

どんよりとした知性では、
見ることができません

とはいえ、
潜在意識の全てを「知る」必要はありません

潜在意識には、潜在意識としての役割もまたあるからです

隠れていていいものもあるのです

それらも全て明るみに出そうとするのは、
コントロール・フリークに過ぎません

コントロール・フリークになってしまっては、
何の意味もありません

ただ、
私たちをこの地上にフックし、
飛翔するのを妨げているもの

自分にとって「重たい」もの

それらに「光」を当てていくこと

そのバランスは、
ハートの深みが知っています

「これは見るべき」
「これは見なくていい」

マインドの声ではなく、
(マインドはきっと、どれもこれも「見なくていい」と言ったり、
あるいは、強迫観念的に「見ないと!」と言うでしょう(^-^))
ハートの声を聞き分けていく

パーソナリティの浄化は、
ハートとともにやらなければ、うまくできません

だからこそ、
パーソナリティの浄化はハートのワークでもあるのです

絵 by Mizuka



そして、重要なことは、
ある地点でこれは手放していくということ

これをやりすぎると、
自分の中で乖離が生じてしまうからです

本当にあなたが「あるがまま」でいられること

それが、最終地点です

そのとき、
あなたはまったくもってシンプルに「普通」になることでしょう(*^-^*)V
















2015年10月18日日曜日

パーソナリティの浄化方法 その4 ネガティブな感情

嫉妬
怒り
不満
不安
恐れ

「黒 フリー素材」の画像検索結果

そういったネガティブな感情や感覚も、
抑え込んだり、振り回されるのではなく、
感じきること

アウェアネスにしっかりととどまって観察すると、
その感情は消えてなくなるけど、
完全に消滅したわけではありません

ずっと、胸の奥でくすぶり続けている

「ダーク フリー素材」の画像検索結果

相手と一緒の時はそうするのがいいけれど、
一人になったら、その感情を全開にして感じきること

それも単なるエネルギーだから

そして、自分の中で昇華させていくこと

よく、ネガティブな感情も抑圧しない方がいいというと、
それならその場で相手に吐き出した方がいいんだと浅く解釈して、
相手にその感情をぶつけてしまうことがあるけれど、
それは全く違います

それでは、問題を大きくするだけ

あなたがぶつけたものを、
数倍にして相手は返してくるだけです

それは、単にごみを投げつけているのと同じです

相手は、
ただ単に、あなたの「ボタン」を押しただけ

あなたの中に、
元々たくさんの部屋があって、
相手はその部屋の扉を開ける「ボタン」を押しただけ

怒りの部屋
嫉妬の部屋
恐れの部屋
不安の部屋・・・

「ダーク フリー素材」の画像検索結果

だから、
あなたは相手にぶつけるのではなく、
自らその部屋に入っていって、掃除すること

それらのネガティブなエネルギーをリリースしてあげること

たとえば、
怒りを感じきるとどうなるか

この上なく気持ちよくなり、
歓びに包まれるのです!

それらは単なるエネルギーだから、
コインの裏表のように、
ネガティブなエネルギーとポジティブなエネルギーは表裏一体

同じエネルギーの両端に過ぎない

だから、感じきれば、
もう一方の極へと転換する

「黄色 光 フリー素材」の画像検索結果

それらを、大きな紙に、浮かんでくるまま書き出してみるのもいい方法
そして、書ききった後は、破いて燃やす

「邪気」を吐いて吐いて吐きまくるのもいい方法
ゲーゲー、エネルギーを吐けるようになったらgood!

「すべて手放して、透明になりたい」
という心の底からの思いとともに、
新しい視点へとシフトしていくという決意とともに、
熟考して瞑想して

「私を浄化してください」
という祈りとともに、
まっさらな自分自身に戻っていくという決意とともに、
手放していく

様々な感情を体験する時こそ、
進化への階段を目の前にしている時

「階段 フリー素材」の画像検索結果

古い、馴染みのある思考のパターンに陥るのを許さないこと

本当にそこから脱したいと願うこと

あなたがその決意をすれば、
大きなサポートと恩寵がかならずやってきます

「黄色 光 フリー素材」の画像検索結果

パーソナリティの浄化の方法 その3 「痛みを感じている時」恩寵への扉

人生において、
人との関係性において、
痛みを感じている時

たとえば、
恋が成就しない時

傷ついた時・・・

その時こそ、ハートへ深く入って行く「チャンス」なのです

今まさに浮上しているその「痛み」に開いて、
完全に感じきるように

そして、その元へと元へと、深く入っていく

一人で、安全な部屋で、
美しい音楽をかけて、寝っ転がって

胸を上に向けて、
必要だったら、痛みの上に手を置いて

「痛み」の原因を思いめぐらすのではなく、
ただその「痛み」を感じきって

「痛み」の中に、深く深く入っていって

あなた自身が胸の奥深く入っていくように

「青  フリー素材 写真」の画像検索結果

その奥底へと・・・


「光 フリー素材」の画像検索結果

本当にその奥底に辿り着いた時、
奇跡が起こります

そこで神と出会うのです

あなたは、光に包まれる

黄色/バックグラウンド/フリー素材



実は、「痛み」は神へと至る秘密の通路なのです

恩寵への門

「痛み」は一変して、歓喜へと!

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果


なぜなら、
「痛み」を感じていたのは、
あなたの魂

「痛み」を感じる時、
あなたは魂のとても近くにいるのです

だから、「痛み」に深く入っていくということは、
あなたが魂に触れていくということ

そして、その魂に辿り着いた時、
あなたはその瞬間、神とともにいるのです

その時、
あなたの「痛み」は根本から癒されます

なぜなら、
あなたが感じる「痛み」はなんであれ、
神と分離した「痛み」が元だからです


「痛み」はつらいから、どうしてもそこから逃れようとしたり、
なるべく感じないようにしてしまうから、
本当にそこに完全に開いて入っていくのはとても難しいけれど、
もし、これ以上、その痛みを体験したくなければ、
入っていくしかない

それができなければ、
「痛み」はやがて風化しても、
自分はいつまでたっても惨めなまま

すぐにまた、
「痛み」は違う形でやってくる

だけど、そこに飛び込めば、
神の愛を知る

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果
「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果

だから、実は「痛み」こそ、恩寵そのものなのです

あなたの魂と、存在が用意したプロセス

だから、いつまでも「痛み」に打ちのめされてる必要はないのです

大きなチャンスだと思って、
「痛み」に飛び込んでください

あなたが「そうする」と決意すれば、
大きなサポートがやってきます

「 ピンク 光 フリー素材」の画像検索結果



パーソナリティの浄化の方法 その2 「紙に書いて、焼く」

とはいえ、
その方法を口で説明してやってみて、と言っても、
なかなか難しいでしょうし、
どうにかひとつの手法として形にできないかと思いました

それはテクニックではないので、形にするというのも難しいのですが・・・

それは、テクニックというより、
なんでしょうね?
やっぱり、恩寵としか言いようがないのですが(*´ω`*)

それでも、その恩寵を招くきっかけだけでも形にできないかと思い、
先日から、1デイリトリートや瞑想クラスであることを試してみました

今、悩んでいること、気になっていることを思い浮かべてもらい、
それに関して浮かんできたことを、
なんでも正直にとにかく、
次々にどんどんと大きな白い紙に、鉛筆で書いていってもらいました

時間は、30分に設定してみました

そういうのは、全て直観的に決めたことです

実際に自分でも一緒にやってみたのですが、
予想していたより、はるかに深くまで到達し、
ある意味、そこで解答まで行きついてしまい、
全く違う視点にシフトし、エネルギー的にも変化を感じ、
ただ紙に書いていくだけなのに、そんな大きな効果があることに驚きました

それは私だけではなく、他の人にも起こったことでした

また、ある人は、今まで思ってもみなかったことが出てきた、と言っていました

自分のいろいろな思い、普段気づいてもいなかった深い思いを紙の上に俯瞰できることも、
大きな効果があるようでした

そして、時間が来たら、書くのをやめ、
そこに書かれたものの中から、
「手放したい思考」、そして、「取り入れたい思考」を各自で見て、
心に入れたら、
後は紙をどんどん破っていきます

そして、それを小さなボウルに入れて、
燃やします

火は、大きな浄化力と昇華力を持ちます

燃やした後は、皆さん、「なんだかスッキリした」と言っていました

燃やすのは、実際にエネルギー的に効果があることがわかりました

本当は燃やした灰をどこか土の上に撒けたらいいのですが、
場所的にそうもいかなかったので、
台所で水に流しました

ある人はトイレに流すと言って、トイレで流していました(*´ω`*)

その後、残っているものを全て落とすように数分間ジベリッシュをして、
エネルギーが変わったところで瞑想に入りました

今行ったことを、思考でではなく、
何か、感覚的に身体にしみこませていくような感じで、
そして、自分の中深くに入っていくように、瞑想をしました

その間、ガイダンスが降りて来たので、
そのガイダンスを伝えていきました

その瞑想で、一応、パーソナリティの浄化のワークは完了したのですが、
実際の浄化のプロセスは、
その後も水面下で続き、
各自のタイミングで何かが起こることでしょう

パートナーさんも一緒にこのワークをしたのですが、
それからほぼ1週間後くらいに、
「神の福音」と言えることが起きたとのことでした(*´ω`*)

もちろん、その時に書いた問題に関して、
神からの大いなる解答が来たのです

それは、自分で想像していたものより、
はるかに素晴らしいものだったようです

それについては、
パートナーさんからいつか何かの機会で皆さんにお伝えすることになるでしょう(*´ω`*)

楽しみにしていてくださいね♪

このワークに参加された方々は、
その後はいかがでしたでしょうか?

たぶん、
皆さんが思っているよりずっと深いレベルでこのワークは浸透していっていると思います

何かが起こるのは、すぐかもしれないし、
数年先かもしれません

でも、確かに何かが変化し、
何かがシフトしているはずです

楽しみですね♪

このワークをしたら、
火の儀式をしたくなってしまいました( *´艸`)

年末にでも、
この1年の全てを燃やし、昇華させる火の儀式♡

いいでしょう?

その時は声をかけますので、ぜひ、お越しください(*´ω`*)ノ

伊豆の家は、焚火、やり放題です♡


















パーソナリティの浄化の方法 その1

パーソナリティの浄化の重要さを理解しても、
では、それをどう行っていけばいいのか

それにはいろいろな方法があると思いますが、
私が自分なりにずっとやってきた方法は、
何か人生において問題が起こった時、
「どうしたらいいのか」、ということよりも、
「どうしてなのか」、と自分の中を深く見て行くことでした

例えば、
随分昔ですが、スピリチュアルな道に入った頃、
私は自己否定がひどく、
毎日のように「消えてしまいたい」と思っていました

「死にたい」ではないのです

「死ぬ」のは、まだ存在していた形跡が残るのです

だから、私の形跡が何一つ残らないように、「消えたい」のでした

この当時は、本当に苦しかったです

そして、ある時、
アレルギー性紫斑病という、自分の免疫抗体が自分の毛細血管を攻撃して破壊してしまうという、
つまり、自分で自分を破壊するという、
意味深な病気にかかってしまいました

私は、その病気の原因は、完全に自己否定であるとわかっていました

この自己否定をどうしたらいいのか、ではなく、
どうして私は自己否定をしてしまうのだろうと、
その「どうして」を心と身体の奥底に杭を打ち込むように打ち込んでいきました

頭でぐるぐると考えるというよりも、
本当に心と身体の奥底に、叩きこむように、打ちこむように、
「どうして?」「なぜ?」を非常に集中して問いかけていくのです

そうして、後は寝るなり、何かをやるなりして、手放します

すると、
ある時、突然、その解答と大きな理解が稲妻のように「ドン!」とやってくるのです

私の場合、それは大抵、明け方にふっと目が覚めた時でした

でも、ご飯を食べていたり、歩いていたり、瞑想していた時にそれがやってきたこともあります

いずれにしても、予期していない時でした

そして、その理解が一瞬にして起こるのですが、
自分が予想していたものとは全く違い、それよりもはるかに深い解答がやってきて、
その瞬間に私は深く癒されて号泣してしまうのです

それは、まさに感謝の号泣です

自己否定の時は、
明け方にふっと目が覚めて、突然、
完全に封印していた幼児の頃のいじめの体験の記憶がバーンと蘇ったのです

カミソリの歯で「話したら首を切るからね」と脅されながら、
私はいじめに合っていました

草っ原で、飼っていた犬にぎゅっと抱きついて、
泣くこともできずに、それが大きな痛みだということすらわからずに、
空をじっと一人で眺めていた記憶だけは鮮明に残っていたのですが、
それが、全ての記憶とつながったのです

なぜ、泣くこともできなかったのかというと、
泣けば、でき始めていた自我が完全に崩れ去ってしまうからでした

記憶を封印することで、私はどうにか自我を保てたのです

30数年間、その大きな痛みの記憶をずっと心の奥に抱え続けてきた自分に、
慈悲の心が沸き起こりました

同時に、いじめた相手にも、自分自身にも、許しが起こりました

私は、いじめられた自分をずっと責め続けていたのです

私は、入院していた病院のベッドの上で、
ずっと号泣し続けました
最後は、感謝の涙に変わっていました

1か月入院しても全く治らないばかりか、ひどくなっていった紫斑病が、
その日を境に、どんどん回復していきました

この入院の間、
私は毎朝、日の出の太陽の光を額に受けていました

なぜだかは知りませんでしたが、
そうしたいと思い、そうしていました

今から思えば、日の出の太陽の光を浴びるというのは、
非常にパワフルなヒーリングだったのですね

このように、
本当に浄化が起きた時は、
感謝が起こります

どんなにひどい仕打ちと思えることも、
最終的には感謝に変わるのです

これが、恩寵とともに起こる浄化の特徴です

私は誰に教わるともなく、
この方法を行ってきましたが、
実はこれが一番深い浄化が起こる方法なのではないかと思います

もちろん、
OSHOの瞑想法や、「家族の座」など、
本当に神秘的に大きな浄化をもたらしてくれるものもあります

それらは非常に有効なので、
それらをうまく使いながら、
自分に「なぜ?」と深く、強く問いかけていく

根源に到達するまで、
「なぜ?」「なぜ?」と問い続ける

そうすれば、必ず恩寵が大きな浄化をもたらし、
私たちは深いところから癒されることができるのです

何か、人生で繰り返し体験すること、
何か、大きな痛みをいつももたらすもの、
今、目の前にある課題、
恐怖、
疑い、
不安、

もし、そういったものに直面していたら、
この方法を試してみてください

頭でぐるぐる考えていてもだめです

「どうしたらいいか」ではなく、
「どうして?」です(*´ω`*)
それを、ハートと身体に打ち込むように、自分自身に問いかけてください







2つの柱の例え話~シンデレラのかぼちゃの馬車~

霊的進化の「道」にとって、重要な2つの柱について、
昨日書きましたが、
それを例えるのに、よくシンデレラのかぼちゃの馬車を使っています(*´ω`*)

「シンデレラ かぼちゃの馬車 画像」の画像検索結果

かぼちゃがパーソナリティで、
ねずみが真の自分です

目覚める前の私たちは、
魔法をかけられて馬車になったかぼちゃのようなもの

それが最も大切なもののように思い込み、
どうやってそれを豪華に飾り立てようかと、
どうやってそれを立派に仕立てようかと、
苦心惨憺しています

でも、余計な飾りで重たくなったその馬車は、動かすのも大変です

ねずみがそれを引っ張ろうとしても、
ねずみのままではまるで動かせません

ちょっとでも坂に来ると、
それはその重さでわーっと坂を転げ落ちていき、
ちょっとでも上り坂になると、もうふうふう言って、登れません

そうやって、ねずみは馬車に振り回され続けています

まるで、人生の中で様々な縛りを作って身動き取れない私たちのようです

馬車をうまく動かすために、
私たちがやらなければならないことは、
まず、ねずみに魔法をかけて馬にすることです
その魔法が目覚めです

「シンデレラ ネズミと馬 画像」の画像検索結果

でも、本当は、
分離という魔法にかけられてねずみになっているようなものですけどね(*´ω`*)
その魔法を解いて、本来の姿に戻ります

「シンデレラ かぼちゃの馬車 画像」の画像検索結果


馬になったねずみは、馬車を引っ張って行けるようになります

パーソナリティに振り回されていた真の自分が目覚めると、
今度は真の自分が主導権を握れるようになります

パーソナリティを使うことができるようになるのです

それでもまだ、
かぼちゃの馬車は飾り立てられていて重く、
そんなに自由には動けません

今度は、その馬車の余計な飾りを剥いで、
シンプルにしなければなりません

馬車が軽く、シンプルになり、機能的になると、
馬はどこへでも自由にその馬車を引っ張って行けるようになります

この世界をあちこちと、馬は自由に飛び回ることでしょう

パーソナリティを浄化して、
本当にシンプルなありのままのパーソナリティになれば、
魂とともに、自由にこの世界で生きられるようになります

ほとんど、馬車の重さを感じずに、
馬は走り回ります

それでも時に、馬車は壊れたり、具合が悪くなったりして、
補修しなければならないこともあります

馬はまだ、馬車の世話をしなければなりません

真の自分が目覚めても、
しばらくはパーソナリティの世話をしなければならないのです

そして、より進化が進み、
いずれ馬車の魔法が完全に解ける時がやってきます


「シンデレラ かぼちゃ 画像」の画像検索結果

馬車はただのかぼちゃに戻り、馬は、解き放たれます

その時、馬はペガサスに変身し、
空へと高く駈け上っていくのです

「ペガサス フリー素材」の画像検索結果

2015年10月17日土曜日

ワークの2つの柱



私たちがシェアしている教えにおけるワークには、
2つの柱があります

ひとつは、
瞑想と日々のワークを通して、
ダイレクトにシンプルに「真の自分自身」へと向かい、
それを知り、深め、目覚めさせていくこと

よく、
「あなたはすでに悟っている」とか、
「太陽を覆い隠している空の雲が晴れ渡れば、太陽はそこに輝いている」というような、
私たちの魂がすでにそこにあり、
それに気づきさえすればいいのだ、という教えがあります

太陽 所有権

それは、ある意味イエスなのですが、
あくまでも「魂」側からの見地で言えばそうであって、
実際の目覚めていない人間側からすると、
「魂」はまだ種状態で、眠っている状態だとも言えるのです



それは、芽吹きを待つ種です

「芽吹きフリー素材」の画像検索結果



太陽で例えれば、
まだ日の出前の状態なのです

なので、たとえ雲が晴れても、
そこにはまだ太陽が現れていないのです

「夜空 フリー 写真」の画像検索結果

私たちは、それを目覚めさせ、育てていかなければなりません

太陽は、水平線から上がってこなければならないのです


「日の出 フリー 写真」の画像検索結果

直接に「純粋な私」、「真我」を知り、
それとのつながりを徐々に深めていかなければならないのです

そうでなければ、
実際にはすぐにまたマインドの厚い雲に覆われ、
簡単に元の無意識に戻ってしまいます

そのために、
その「内なる太陽」「内なる光」とのつながりが強まるまで、
毎日瞑想し、
エネルギー的につながりを強めていく必要があります

瞑想といっても、
ただ漠然と坐ればいいというものではありません

禅のたとえ話にあるように、
「いくら煉瓦を磨いても鏡にはならない」のです

漫然と坐れば、ただ思考が好きなように沸き起こり、
それに巻き込まれ、ただの考え事の時間になってしまいます

とはいえ、
思考を停めることも不可能です

それに、本当の問題は、
そこに思考があるかないかではなく、
思考を超えているかどうか、なのです

そこには、進化の度合いに応じて、
瞑想の焦点があります

ヴィパッサナのように、呼吸に焦点を合わせる瞑想もありますが、
私たちの瞑想では、そのように対象物に焦点を合わせることはありません

ダイレクトに、「主体」そのもの、
「魂」そのものへと向かいます

私たちがシェアしている教えでは、
3つの側面から「魂」へとアクセスしていきます

まず、
「魂」の意識の側面であるアウェアネス、
頭のエリアにある「私」、その「主体」そのものを認識し、
そこにとどまることから始めます

それによって、マインドと完全に同化している無意識の状態から、
マインドを超えた意識的な状態へとシフトしていきます

lens-flare-1(2)


同時に、
私たちの存在のエリア、ビーイングという深みの中に入っていき、
存在の基盤となっている「源泉のエネルギー」へと拡大していきます

「魂」を超えた次元へと、
神の「存在」の次元へと深く入っていきます

14-Preview


そして、
まさに「魂」の座であるハートへと、
深く入っていき、
「魂」そのものとのつながりを深め、
神の「愛」の側面へと入っていきます





瞑想が深まるにつれ、
それらが統合し、
「魂」は徐々にその姿を現してきます

実際に、ハートに「内なる光」がともるのです

このワークに関しては、
各人が瞑想の実践を通し、
実際のその人の状態に応じて理解を深めていくものなので、
ここでは、それらの詳細については書きませんが、
これらの瞑想を通したワークが、
まず第一になされるべき重要なことです

これは、日々の瞑想と、
私たちとともに行う定期的なリトリートによって、
その人その人に沿った形で進めていきます




もうひとつの柱は、
パーソナリティの浄化です

「光フリー素材」の画像検索結果

それは、直接的なものではありませんが、
私たちの潜在意識の中にあるものを浄化していかない限り、
実際に瞑想を深めて行くことが困難になり、
あるところでスタックしてしまうため、
必ず、浄化が必要となってきます

そして、たとえ瞑想で深い境地に至ったとしても、
パーソナリティが浄化されていないと、
すぐにその暗闇へと引きずられ、
そこに巻き込まれ続け、
結局はこの地上の次元にフックされ続けてしまいます

これは、大切なハートのワークでもあります

パーソナリティが浄化されないまま、
霊的パワーを身に着けてしまうと、
とても危険な状態になりかねません

自分の利益のためや、
あるいは復讐や報復のためにそのパワーを使ってしまうからです

これは人に通常より大きな害を及ぼし、
本人にとっても大きなカルマになってしまいます

それは何も、かつてのオウム真理教事件のような大事に限りません

日常の中で、周りの人との関係性の中で、
私たちは無意識に潜在意識の中のカルマやブロックによって、
常に葛藤や小さな対立、苦しみを創り出しています

霊的パワーが強まれば強まるほど、
そのネガティブな影響もまた大きくなっていきます

なので、
本当に高次の次元へとシフトしていくためには、
パーソナリティの浄化が必須なのです

それはまた、人間としての完成ももたらしていきます

たくさんの条件付け、
信じ込み、
自分の中のネガティブな傾向、
人生において何度も繰り返し体験するもの、
自分の修行を妨げるもの、
人生を通してぶち当たる課題・・・

そして、
私たちは誰しも、何らかのフィルターのようなもの、
あるいは下塗り、あるいは鋳型、
あるいはトーンのようなものを持っています

私たちは、本当に純粋に何の色づけもせずに、
物事を見たり感じたり体験できるわけではないのです

誰しもが、各人特有のそのフィルターを通して、
世界を体験しているのです

それらは、通常ネガティブな色合いを持っています

グレーな色合いのフィルターを持つ人は、
全てをグレーがかって体験します

「フィルター フリー 素材」の画像検索結果

悲しみ色のフィルターを持つ人は、
全ての体験の底に、悲しみを感じます

「悲哀 フリー 素材」の画像検索結果





そういったものから目を反らさずに直面し、
手放し、解放していくこと

そして、
シンプルな本来のありのままのパーソナリティへと、
軽くなっていくこと

それがもうひとつの大切な柱なのです

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

このワークは、
日常の生活の中で、
実際の関係性を通して行われていきます

先生となるのは、
目の前にいる、まさに問題をあなたにもたらしているその人や物事です

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

家族、友人、仕事関係の人などなど・・・

人生に起こること全てが、
私たちにとっては学びと、浄化の機会です

「相手は鏡である」というのは、
あなたの中の問題を、相手が映し出してくれている、ということです

「鏡 フリー素材」の画像検索結果



普通、私たちは何かの問題が持ち上がると、
「誰それが悪い」と相手の問題にして、
怒ったり、不平不満を相手にぶつけてしまいます

でも、本当は、相手に問題があるのではなく、
自分自身の中にその問題の種があるのです

人との関係性のベースは、
両親との関係にあるので、
その両親との関係を深く見て行くことも、
霊的進化の道においては必須事項です

それらを通して、
少しづつ、自分のフィルター、自分のトーンというものが見えてきます

そうなれば、
もはやひとつひとつの問題を解放していくのではなく、
そのフィルターごと外してしまうことができるようになります

ただし、そのためにはある段階以上の霊的進化が必要となります

マインドを超えて初めて、
そのマインドの色合いが見えるようになるからです

マインドに糊付けされている間は、
その色合いを見ることはできません

それは、
汚い水の中で暮らしている魚が、
その中にいる限り、
その水が汚れていることに気が付かず、
きれいな水の中に移動して初めて、
それまでいた水が汚れていたことを知るのと同じです

「魚 写真フリー 素材」の画像検索結果

私たちは、
純粋な「魂」に近づけば近づくほど、
そうでないものの姿をはっきりと見ることができるようになります

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

このパーソナリティの浄化は、
目覚めた後も、
人間として生きている限り、続くことでしょう

目覚めたら、はい、終わり!でもなく、
目覚めたら、マジカルにパーソナリティが聖人君子に変わる訳でもないのです

逆に言えば、
本当の浄化は、目覚めて初めて起こると言っても過言ではありません

そして、
それは私たちのパーソナリティが何か自分の理想になっていくということでもないのです

むしろ、ただあるがままになっていくということなのです

だから、
私は私のままだし、
あなたはあなたのままです

けれどそれは、
私が私を生き切り、
あなたがあなたを生き切る、ということです

私たちが、
ひとりひとりユニークなパーソナリティを生き切り、
そこに神性の愛や内なる平安、静けさ、喜びの質を体現していくこと

それが宇宙を創り、宇宙を進化させていくのです

「宇宙フリー素材」の画像検索結果


このように、
2つの柱は、
螺旋状に進化し合い、
私たちを「究極」へと連れていってくれます

私たちは、
人間としての制限と不完全さを持ちながら、
なお、完全なる存在として、
完成していくのです

私たちは満ち足り、
完結し、
全ての仕事をやり終えた安堵へとくつろいでいきます

それでもなお、
私たちには人間として無限のチャレンジが可能であり、
その生をダイナミックに生きることができるのです

その存在となった暁には、
生はOSHOの言うように、「祝祭」となるのでしょう

私にも、あなたにも、
その可能性が約束されている

本当に、その日が楽しみです

「ブルーローズ 写真フリー」の画像検索結果



Blessings of  God!






2015年10月16日金曜日

シヴァの道


(フーマン所蔵のシヴァ神の絵)

私たちのシェアする「魂への道」は、
「シヴァの道」でもあります

どういう道かと言うと、
自分の足で歩んでいく道です

真の自己の実現、神との合一、神の体現を目指して、
自分で一歩一歩、修行をしていく道です

もちろん、最後のその手を引いて、
そこへと引き上げてくれるのは、
恩寵の力に他なりませんが、
ただそれを待っているのではなく、
自分のできることを最大限やり、
恩寵に協力していく道です

瞑想し、探求し、洞察し、浄化し、
常に「自分自身」へと向かい、
同時に、この現世でもワークし、
神性をこの現世へともたらし、
霊的完成、そして人間としての完成を目指して、
歩んでいく道です



山に登るのに、
自分の足で歩き、
道々に咲く花を見、その香りをかぎ、
木々の間をくぐり、
岩をよじ登り、
山頂に至るまでの道のりの全てを、
自分の身体で体験し、
自分で理解していくことを望んでいる魂の道です

山頂まで、ヘリコプターでただ連れていってもらうのでは、
満足しないのです
リフトやケーブルカーで行くのも嫌なのです

山道のひとつひとつ、
どこにどんな花が咲いていて、
どこに危険な場所があるか、
どんな坂があって、どんな眺望があるか、
そのプロセスもまた、全て熟知していたいのです



そういう魂は決して多くはないでしょう

多くの人は、できるだけショートカットして、楽をして山頂に着きたいと思うことでしょう

でも、この道は、
ある意味、超ショートカットでダイレクトでシンプルであると同時に、
とても多くの要素を含んでいて、
それらを自分でワークしていくことを要求されるため、
決して楽とは言えないでしょう

でも、だからこそ、
山頂に到達した時の歓びが大きいのです

そして、だからこそ、
実際に「道」を歩む人の手助けができるのです

そうやって、山頂に辿り着き、
そのはるか広大な景色に感動した魂は、
他の人にもそれを体験させたいと望んでやまないのです


***


シヴァは、インドの神話に出て来る神で、
ブラフマー、ヴィシュヌとともに三大神と言われ、
その中でも最強の神であるとされています

「破壊」を司る神であり、
ヒマラヤのカイラス山で瞑想の修行をしていた神です

カイラス北面(ウィキペディアより)

カイラス山は、チベット仏教、ボン教、ヒンズー教などの聖山で、
未踏峰の山です
いまだに近くに到達することさえ困難な山ですが、
巡礼の地としても多くの信仰を集めている山です



ヨガの聖地、インドのリシケシにあるシヴァ像です

瞑想で、サマーディーに浸っているシヴァの姿です
美しい像ですね(*´ω`*)

このたゆみない瞑想が、
この世界を創造し続けているともいわれています



シヴァは、「時を超えるもの」

「永遠」に住まうもの





シヴァ神は、そういった瞑想の修行者としての側面だけではなく、
「破壊神」としての側面、
時として恐ろしかったり、乱暴だったり、やんちゃだったり、
ヒマラヤを炎で焼き尽くしてしまったり、街を破壊して回ったり、
そして時として非常に優しく、
1000の名を持つと言われるほど、
いろいろな側面を持っています

今では願いを叶えてくれる神様として人気が高いそうです


そして、ダンシング・シヴァとして有名なように、
「破壊」と「再生」のダンスを踊り続けています

それはまさに、「生のダンス」です



「破壊」というと、
現代の日本語ではネガティブなニュアンスを持っていますが、
新しく再生するためには「破壊」が必要であるように、
それはとてもポジティブな「破壊」なのです

マインドを破壊し、
古くて重たいものを破壊し、
鈍ってどんよりとしたものを破壊し、
私たちをこの二元の世界に縛り付けているもの、
いえ、この二元の世界そのものを破壊し、
新しいところへと、
私たちを連れていく

私たちは、
私たち自身を破壊して、
より、純粋なものへと近づいていきます

永遠なるものの中へと、
私たちは溶け去っていきます

破壊と再生を繰り返し、
瞬間ごとに、
私たちは生を踊り、
その歓びを分かち合います

シヴァのダイナミックさは、
宇宙のダイナミックさであり、
進化のダイナミックさ、
生のダイナミックさそのものです