2015年11月22日日曜日

「私が私であること」の歓び~「私」の秘密 その4

「行為に集中して、私がいなくなり、行為だけが起こっている」状態について、
それはまだ「悟り」ではないということを前に書きましたが、
それに関してもうひとつ書こうと思います

よく、踊り子が踊りを踊っていて、踊り子がいなくなり、踊りだけが起こっている、
という例えが使われます

その例えを使って書いてみますね(^.^)

目覚める前の人が踊りを踊り始めます



最初は、踊りと踊っている自分との間にはまだ分離があり、
時として、手の動きや体の動き、足の動きを感じたり、
時として、「こう踊ろう」「もっと激しく!」「もっとセクシーに♡」「こんなのはどう?」「わあ、楽しい♡」「ノリノリの音楽だわ♪」などと思いながら、踊ることを楽しんだり、
時として、踊っている自分に意識を向けて、「うまく踊れているかしら?」「どう見えているかしら?」などと思ったりしています
注意が、自意識、身体の動き、外側の音楽、周りの風景など全てに向き、それらの間を行ったり来たりしています
身体の動きも、ある程度意識的です


そのうち、どんどんと踊りにのめりこんでいくと、
そういった思考も全て消え去り、
何も考えずに、身体が音楽と一体になったように、
何も意識せずに身体が自由に勝手に動き出し、
踊りと一体になります

その感覚に完全に酔いしれているとも言えます

今時の言葉で言えば、「ゾーンに入る」って感じでしょうか(*´ω`*)

その段階で、「私がいなくなった」と感じることができます

これは、前にも書きましたが、
正確には踊っている人が消えたわけではなく、
自意識へと引き戻されることから一時的に開放され、
踊りと一体になっている状態です

もはや注意が特定の焦点を持たず、
意識は非常に集中していますが、
どこか外側の一点に集中というより、
むしろ拡散しているとも言える状態です

意識そのものが中心で集中しているのです

そこから、意識は特定の焦点を持たずに拡散しています

それが意識的な「私」が現れているということです

それに気づいた時、
踊りから、中心であるその「私」そのものにシフトした時、
何が起こると思いますか?

そう、
踊りが落ちるのです

私がいなくなるのではなく、
踊りの方が落ちるのです(*´ω`*)


そこにあるのは、
「私」だけです

身体はまだ踊り続けていますが、
あなたはもはや踊っていません

踊りはもはやあなたから切り離され、
ただ、あなたの外側で回り続けているだけです

あなたは中心で1ミリも動かず、
あなたである至福の中で、
ただ、外側で起こっている踊りを観照しているだけです


覚醒した時、
今まであなたの人生を楽しませたり悩ませたりしてきたストーリーのあれこれ、
その全てが、それそのものが、
あなたとは何の関わりもない、
ただ外側で流れ続けている風景に過ぎないことを知ります

それは、
一時的に自意識から引き剥がされた時に得るものとは比較にならないほどの、
解放感と歓びの爆発です

あなたは、今まであなただと思ってきた全てから真に解放されるのです




この感覚を得るために創られたのが、
まさにスーフィーダンスです

スーフィー旋回ダンス


ワーリングと言って、
クルクル回り続ける、最高に美しい瞑想法です

これを、インドのOSHOのアシュラムで体験したことがあります

普通のダンスでは、回転する時に目を回さないように、
頭を身体と一緒に回すのではなく、
頭だけそのままにして、身体が半分回った時にクルッと頭を早く回しますが、
ワーリングでは、身体と一緒に頭も回します

当然、普通にそれをやると、
あっという間に目を回してひっくり返ってしまいます

気持ち悪くなってゲーゲー吐くのがおちです(;´Д`)

でも、それは身体のバランスを取るために、
必ず目の焦点を周りのどこかに合わせているために起こる現象です

といって、目をつぶってやれば、
すぐにバランスを崩して転んでしまいますし、
かえって酔い易くなったりもします

そこでどうしたらいいか、やりながら発見したのは、
少しだけ上向き加減で、
目の焦点をどこにも合わせずに、
つまり、目を開けてはいますが、
見ることを放棄して回れば、
いくらでも回り続けられるということでした(*^^)v

そして、回り続けているうちに、
恍惚状態に入っていきました

腕を広げてクルクルと回り続けているのが本当に気持ちよく、
空を自由に飛び回る鳥になったような気分でした

クルクルと回りながら、
私はとてつもなく自由だったのです

そして、ある地点で、
驚くことが起こりました

回っているのは私ではなく、
周りの風景が回り始めるという、
逆転が起きたのです

私は1ミリと動かず、中心で確固として立っているだけで、
ただ、回り灯籠のように、
私の周りを風景が高速で流れて行きます

人も木も建物も床も空も、
全てが高速で私の周りを走り抜けながら、
回り続けているのです

私はそれを歓びの中でただ眺めているだけです

それはとてつもなく美しい状態でした

これこそが、まさに覚醒の状態なのです

ダンスと一体になることを超えて、
ただ「私」そのものになる状態です

「私」以外のものは、
全て外側で「私」に関係なく、ただ回り続けているだけなのです

この世に、こんなシンプルで、こんな美しい瞑想があるなんて、
本当に感動的でした

私は歓びと感謝の涙を流しながら、
眺め続けていました



いつまでもその状態を楽しんでいたかったですが、
突然、
私の身体がポーンと投げ出されました

足が限界を超えて、もつれたのです(;´Д`)

何のトレーニングもしていない身体では、
長い時間回り続けるだけの脚力はありませんでした(;´Д`)

何の防御もしていなかったので、
思いっ切り石の床に身体をたたきつけましたが、
私はまだ至福の中で感動していました

床にしばらくひっくり返ったまま、
その余韻を楽しんでいましたが、
気が付くと、立ち上がれない位、
身体はコテンパンに疲労していました(;´Д`)
しかも、足の裏すれて痛いし・・・( ;∀;)

本当に美しい瞑想ですが、めちゃハードでした
体力いります(;´Д`)


ご興味ある方は、ぜひ試してみてください
本当に美しくてパワフルな瞑想法です♡


(ただ、私の場合、すでに覚醒していたので、
初めてのワーリングで割とすぐにその状態に行きましたが、
ワーリングそのもので覚醒に至ろうとする場合、
すぐにその状態に至れるかどうかはわかりませんので、
怪我しないようにトレーニングしてくださいね♪
それに、ちゃんとしたワーリングの指導者についてやった方が安心かと思います(*´ω`*))



***


「行為」と一体になることと、覚醒は、
似て全く非なるものです

「行為」と一体になることは、「行為」が主です
でも、覚醒は明らかに「私」が主で、「行為」の方が何であれ、落ちるのです

だからこそ、
私たちのワークでは、
「私」を直接認識し、
常にそこに立ち戻り、
そこへと深く入っていくことを強調するのです

「私」こそが、
全ての神秘に至る鍵です

それこそが、「秘密の扉」なのです


パーソナリティとしてのも、本当は、
それに協力し、私たちをそこへと連れて行くための重要な機能なのです

問題は、主従が逆転してしまっていることなのです

ですから、安易にを否定し、それをなくそうなどと思わないでください

それよりも、
「私」を目覚めさせることが先決です

































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