2015年10月17日土曜日

ワークの2つの柱



私たちがシェアしている教えにおけるワークには、
2つの柱があります

ひとつは、
瞑想と日々のワークを通して、
ダイレクトにシンプルに「真の自分自身」へと向かい、
それを知り、深め、目覚めさせていくこと

よく、
「あなたはすでに悟っている」とか、
「太陽を覆い隠している空の雲が晴れ渡れば、太陽はそこに輝いている」というような、
私たちの魂がすでにそこにあり、
それに気づきさえすればいいのだ、という教えがあります

太陽 所有権

それは、ある意味イエスなのですが、
あくまでも「魂」側からの見地で言えばそうであって、
実際の目覚めていない人間側からすると、
「魂」はまだ種状態で、眠っている状態だとも言えるのです



それは、芽吹きを待つ種です

「芽吹きフリー素材」の画像検索結果



太陽で例えれば、
まだ日の出前の状態なのです

なので、たとえ雲が晴れても、
そこにはまだ太陽が現れていないのです

「夜空 フリー 写真」の画像検索結果

私たちは、それを目覚めさせ、育てていかなければなりません

太陽は、水平線から上がってこなければならないのです


「日の出 フリー 写真」の画像検索結果

直接に「純粋な私」、「真我」を知り、
それとのつながりを徐々に深めていかなければならないのです

そうでなければ、
実際にはすぐにまたマインドの厚い雲に覆われ、
簡単に元の無意識に戻ってしまいます

そのために、
その「内なる太陽」「内なる光」とのつながりが強まるまで、
毎日瞑想し、
エネルギー的につながりを強めていく必要があります

瞑想といっても、
ただ漠然と坐ればいいというものではありません

禅のたとえ話にあるように、
「いくら煉瓦を磨いても鏡にはならない」のです

漫然と坐れば、ただ思考が好きなように沸き起こり、
それに巻き込まれ、ただの考え事の時間になってしまいます

とはいえ、
思考を停めることも不可能です

それに、本当の問題は、
そこに思考があるかないかではなく、
思考を超えているかどうか、なのです

そこには、進化の度合いに応じて、
瞑想の焦点があります

ヴィパッサナのように、呼吸に焦点を合わせる瞑想もありますが、
私たちの瞑想では、そのように対象物に焦点を合わせることはありません

ダイレクトに、「主体」そのもの、
「魂」そのものへと向かいます

私たちがシェアしている教えでは、
3つの側面から「魂」へとアクセスしていきます

まず、
「魂」の意識の側面であるアウェアネス、
頭のエリアにある「私」、その「主体」そのものを認識し、
そこにとどまることから始めます

それによって、マインドと完全に同化している無意識の状態から、
マインドを超えた意識的な状態へとシフトしていきます

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同時に、
私たちの存在のエリア、ビーイングという深みの中に入っていき、
存在の基盤となっている「源泉のエネルギー」へと拡大していきます

「魂」を超えた次元へと、
神の「存在」の次元へと深く入っていきます

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そして、
まさに「魂」の座であるハートへと、
深く入っていき、
「魂」そのものとのつながりを深め、
神の「愛」の側面へと入っていきます





瞑想が深まるにつれ、
それらが統合し、
「魂」は徐々にその姿を現してきます

実際に、ハートに「内なる光」がともるのです

このワークに関しては、
各人が瞑想の実践を通し、
実際のその人の状態に応じて理解を深めていくものなので、
ここでは、それらの詳細については書きませんが、
これらの瞑想を通したワークが、
まず第一になされるべき重要なことです

これは、日々の瞑想と、
私たちとともに行う定期的なリトリートによって、
その人その人に沿った形で進めていきます




もうひとつの柱は、
パーソナリティの浄化です

「光フリー素材」の画像検索結果

それは、直接的なものではありませんが、
私たちの潜在意識の中にあるものを浄化していかない限り、
実際に瞑想を深めて行くことが困難になり、
あるところでスタックしてしまうため、
必ず、浄化が必要となってきます

そして、たとえ瞑想で深い境地に至ったとしても、
パーソナリティが浄化されていないと、
すぐにその暗闇へと引きずられ、
そこに巻き込まれ続け、
結局はこの地上の次元にフックされ続けてしまいます

これは、大切なハートのワークでもあります

パーソナリティが浄化されないまま、
霊的パワーを身に着けてしまうと、
とても危険な状態になりかねません

自分の利益のためや、
あるいは復讐や報復のためにそのパワーを使ってしまうからです

これは人に通常より大きな害を及ぼし、
本人にとっても大きなカルマになってしまいます

それは何も、かつてのオウム真理教事件のような大事に限りません

日常の中で、周りの人との関係性の中で、
私たちは無意識に潜在意識の中のカルマやブロックによって、
常に葛藤や小さな対立、苦しみを創り出しています

霊的パワーが強まれば強まるほど、
そのネガティブな影響もまた大きくなっていきます

なので、
本当に高次の次元へとシフトしていくためには、
パーソナリティの浄化が必須なのです

それはまた、人間としての完成ももたらしていきます

たくさんの条件付け、
信じ込み、
自分の中のネガティブな傾向、
人生において何度も繰り返し体験するもの、
自分の修行を妨げるもの、
人生を通してぶち当たる課題・・・

そして、
私たちは誰しも、何らかのフィルターのようなもの、
あるいは下塗り、あるいは鋳型、
あるいはトーンのようなものを持っています

私たちは、本当に純粋に何の色づけもせずに、
物事を見たり感じたり体験できるわけではないのです

誰しもが、各人特有のそのフィルターを通して、
世界を体験しているのです

それらは、通常ネガティブな色合いを持っています

グレーな色合いのフィルターを持つ人は、
全てをグレーがかって体験します

「フィルター フリー 素材」の画像検索結果

悲しみ色のフィルターを持つ人は、
全ての体験の底に、悲しみを感じます

「悲哀 フリー 素材」の画像検索結果





そういったものから目を反らさずに直面し、
手放し、解放していくこと

そして、
シンプルな本来のありのままのパーソナリティへと、
軽くなっていくこと

それがもうひとつの大切な柱なのです

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

このワークは、
日常の生活の中で、
実際の関係性を通して行われていきます

先生となるのは、
目の前にいる、まさに問題をあなたにもたらしているその人や物事です

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

家族、友人、仕事関係の人などなど・・・

人生に起こること全てが、
私たちにとっては学びと、浄化の機会です

「相手は鏡である」というのは、
あなたの中の問題を、相手が映し出してくれている、ということです

「鏡 フリー素材」の画像検索結果



普通、私たちは何かの問題が持ち上がると、
「誰それが悪い」と相手の問題にして、
怒ったり、不平不満を相手にぶつけてしまいます

でも、本当は、相手に問題があるのではなく、
自分自身の中にその問題の種があるのです

人との関係性のベースは、
両親との関係にあるので、
その両親との関係を深く見て行くことも、
霊的進化の道においては必須事項です

それらを通して、
少しづつ、自分のフィルター、自分のトーンというものが見えてきます

そうなれば、
もはやひとつひとつの問題を解放していくのではなく、
そのフィルターごと外してしまうことができるようになります

ただし、そのためにはある段階以上の霊的進化が必要となります

マインドを超えて初めて、
そのマインドの色合いが見えるようになるからです

マインドに糊付けされている間は、
その色合いを見ることはできません

それは、
汚い水の中で暮らしている魚が、
その中にいる限り、
その水が汚れていることに気が付かず、
きれいな水の中に移動して初めて、
それまでいた水が汚れていたことを知るのと同じです

「魚 写真フリー 素材」の画像検索結果

私たちは、
純粋な「魂」に近づけば近づくほど、
そうでないものの姿をはっきりと見ることができるようになります

「魂 フリー 素材」の画像検索結果

このパーソナリティの浄化は、
目覚めた後も、
人間として生きている限り、続くことでしょう

目覚めたら、はい、終わり!でもなく、
目覚めたら、マジカルにパーソナリティが聖人君子に変わる訳でもないのです

逆に言えば、
本当の浄化は、目覚めて初めて起こると言っても過言ではありません

そして、
それは私たちのパーソナリティが何か自分の理想になっていくということでもないのです

むしろ、ただあるがままになっていくということなのです

だから、
私は私のままだし、
あなたはあなたのままです

けれどそれは、
私が私を生き切り、
あなたがあなたを生き切る、ということです

私たちが、
ひとりひとりユニークなパーソナリティを生き切り、
そこに神性の愛や内なる平安、静けさ、喜びの質を体現していくこと

それが宇宙を創り、宇宙を進化させていくのです

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このように、
2つの柱は、
螺旋状に進化し合い、
私たちを「究極」へと連れていってくれます

私たちは、
人間としての制限と不完全さを持ちながら、
なお、完全なる存在として、
完成していくのです

私たちは満ち足り、
完結し、
全ての仕事をやり終えた安堵へとくつろいでいきます

それでもなお、
私たちには人間として無限のチャレンジが可能であり、
その生をダイナミックに生きることができるのです

その存在となった暁には、
生はOSHOの言うように、「祝祭」となるのでしょう

私にも、あなたにも、
その可能性が約束されている

本当に、その日が楽しみです

「ブルーローズ 写真フリー」の画像検索結果



Blessings of  God!






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