2015年9月17日木曜日

許し

ここのところ、ずっとワークしていることがありました



それは、
私をあまり受け入れてない人たち、もしくは私を尊重しない人たちとの関わりを、
どうしていったらいいのか、というものでした

明らかに嫌われているなら離れることも仕方ないのですが、
そこがとても微妙で、
あからさまに「嫌いだ」と言ったり、そういう態度を取るわけでもない

明らかに侮辱されれば、それはそれで対応の仕方もある

でも、微妙に、本当には受け入れていない、大切には思っていない、という態度、行動を取り、
口では「ウェルカム」という意味合いのことを言いながら、
実は「ウェルカム」ではないということがわかってしまう

本当には仲間に入れてもらえず、
私に対して心の奥底で何かネガティブな感情を持っていることがわかってしまう

そういう、なにやら微妙な関係性の相手と、
一体どうつきあっていけばいいのか、
ずっと思いあぐねていました

というのも、私はその人たちが好きで、仲の良い関係性を持ち続けたいと思うからでした
それだけ、縁の深い人たちなのです

でも、いつもその人たちと関わると、
その微妙なエネルギーを感じ、
私の中は痛みでいっぱいになるのでした

スピリチュアルなシーンでは、
「自分を尊重しない人たちとは離れればよい」「自分を傷つける人たちとは離れなさい」というのが、ある意味、常識です

相手を変えることはできませんし、
相手を責めることにも意味はありません

それに、
もし、自分が相手の行為により傷ついたということを言えば、
それで関係性が終わってしまいかねないので、
どう伝えるかも非常に難しい問題です

私はその人たちから離れるべきなのか、
私は「ひとりあること」へと行かなければならないのか、と、
日々、ハートに深く入り、
その痛みにワークし、
ある時は「もう、こういう痛みはいらない、きっぱり離れよう」と決めたり、
ある時は「やっぱり、それでも好きだなあ、痛くても一緒にいよう」と決めたり、
心はどちらにも本当には決まらず、揺れ動いていました

離れることに、何かハートが納得しないのです

彼ら彼女らがそういう態度を取るのも、
私が痛みを感じるのも、
何か、そこに私が超えなければならないものがあるから、
存在が私にそういう状況を与えているのだ、と思うのです

なるようになれと、放っておこうとしても、
また痛みを起こさせる出来事が襲ってきて、
私をそこに向かわせようとするのです

「私は私を尊重する、けれど、彼ら彼女も尊重する」という道が取れないものか、
自分のハートとワークを続けていました





実は、この痛みは、転生の間ずっと持ち運んでいる感覚で、
今生でも全ての出来事をそのフィルターを通して体験しているものです

それは、
「私の大切な人にとって、私は大切ではない」
「私は尊重されない」
といったような感覚です

それは、強烈な痛みの感覚で、私を否応なく引っ張ります

この痛みの大元の原因を探るために、
何年も前に、前世療法を受けたことがあるのですが、
その時に、
この次元に来た最初の時か、まだまもない頃に体験した痛みを見ました

私はどこか遠いところの神殿で、
何か、月に関わるような神官だか巫女だかのような役割を持っていたのですが、
いつもたったひとりぼっちで、
いつも孤独にさいなまされ、
神に向かって、どうして私を一人にするのかといつも泣いていました

それだけではなく、もう一人の神官だか巫女だかがいて、
その彼女はとてもピュアで無邪気で、
王だか最高位の神官だか、そういう重要な人の傍にいつもいました

その王だか神官だかは、私にとっても重要な意味を持つ人であり、
私もその人の傍にいつもいたいと思っていました

でも、その人はもう一人の彼女だけをいつも連れ歩き、
私は遠いところに追いやられ、
忘れられたまま、ずっとひとりぼっちで放置されていました

無邪気すぎて私の孤独にすら気づかない彼女に対する妬みや、
私を大切に思ってくれない人に恨みがないわけではありませんでしたが、
じゃあ、自分が彼女を嫌いかと言えば、むしろ好きなのでした

その葛藤の中で、
だからといって彼女自身に対する感覚、感情が自分自身を苦しめている訳ではなく、
むしろ、
「自分は重要ではないのだ」「自分は愛されないのだ」という痛みの方がはるかに強いものでした

ただ彼女を憎んでいるのなら、かえって楽なのになあ・・・というくらい、
孤独の痛みの方が強かったのです

それもただの孤独ではなく、対比のあることによって、その孤独がいっそう引き立てられたのです

その時に見たストーリーとしてはそんな感じでしたが、
ストーリー自体に意味があるのではなく、
要するに、そういう状況で感じる痛みというものを強く体験していて、
その痛みをずっと持ち運び、
雪だるま式に強めて来ている、ということがわかりました

それを思い出しても、痛みは解放されませんでした
過去、他にもいろいろな療法やヒーリングを受けましたが、
それは解放されずに残ったままでした

それほど強く、魂に刻み込まれた痛みなのです

この痛みのブロックを解放しない限り、
人生の中でこの痛みに何度も直面することになります

それにずっとワークしてきていた訳ですが、
その根はとても深く、なかなか解放するに至りませんでした

尊厳を損なわれて痛みが起こる出来事があると、
「やっぱり私のことはどうでもいいんだな」→「私は尊重されていないんだ」→「悲しい」→
「痛い」→「ひどい」→
「愛とかいつも口にしていながら、自分たちが私にしていることに気が付いているんだろうか」→
「言いたい」→「言えば関係が終わる」→「惨めな立場のまま終わりたくない」→
「気が付いて欲しい」→
「でも、全く気が付いていないわけではない」→
「そんな人たちのところにとどまる意味があるのか?」→「自分の尊厳を持とう」→
「ハートはどうしたいのだろうか?」→
「仲良くしたい、仲間になりたい、お互いに大切に思い、尊重し合える関係でいたい」→
「私は本当に好きなのだろうか?」→
「批判的に思うところはもちろんあっても、基本的には好き」→
「やっぱり、私から切るのは違う」→「でも、このままの関係にいるのは嫌」→
「ちゃんと大切にしてほしい」→「そう伝えたこともあるけど、結局こう」→
「相手がそうであるのは仕方ないし変えられない」→
「私の何が悪いのだろうか」→「相手の問題でもある」→
「どうしたら愛されるのか」→「やっぱり私は愛されない」→・・・・

と、抜け道のはっきりと見えないルーティンの中にはまり込んでしまうのです

ブロックになっていることはいつもそうですが、
何か頭の中に霞がかかっているような感じで、
どこかクリアにならない感覚がつきまとい、
明確な抜け道が見えず、グルグルと回っている感覚に陥るのです

なかなか視点を変えることができないのです

変えようと思っても、そこでストップしてしまって、なんだかよくわからなくなってしまうのです

でも、もう、いい加減にこれから卒業したいと本気で思いました

何世もずっと挑戦し続けてできなかった課題かもしれないけど、
いい加減、ここでクリアしたいと思いました

絶対的に違う視点に到達したいと思ったのです

一昨日、
瞑想をしながら、その痛みの中に入っていき、
この延々と続けてきた痛みという、遺伝子に刻み込まれた傷を、
本当に癒し、解放していきたいと願いました



翌朝、朝食を食べている時に、
ふっと、何かに気づきました

そのとたん、何かが解放されたのを感じました

ただ、それだけのことが起こりました
劇的でもなんでもなく、小さな内面の動きに過ぎない出来事でしたが

でも、何に気づいたか、実は、覚えていないのです
(そこ、重要なんですけどね(;´Д`))

何か、全く視点が変わった、という印象だけは覚えているのですが

どう変わったのか、覚えていないのです(;´Д`)

気づいた瞬間にシフトが起こった時は、
よく、気づいたことが何だったか、後で思い出そうとしても記憶がないことが多いのです

気づいたことを覚えている時は、
実はまだ消化し切っていず、真のシフトが起こっていないようなのです

シフトが起こっちゃうと、覚えている必要がなくなってしまうのでしょう(*´ω`*)

そして、その後プレイヤー瞑想をしたときに、
そのガイダンスの中で「許す」という言葉が出てきました

リトリートの中で、生徒さんのためのガイダンスでありながら、
私自身ともシンクロしていたのです

その中で、私は、私自身を深く許していたのです
私を尊重しなかった相手や、その相手の行為も許していたのです

結局、私は深いところで自分も相手も許してなどいなかったのですね

「許す」、朝食の時に気づいたのは、きっとそれだったのでしょう

「許し」
それこそがやっぱり「愛」の方法だったのです

「愛」は、許しているのです




そんな、ある意味わかり切っていることですが、
真に「わかる」ことはなかなかにして難しい(;´Д`)

私は一体、何世かかったのでしょう(;´Д`)

「許そう」としている時は、実はまだ許していないのですから

許した時は、全てが落ちます

人間の生においても、真の愛に到達するのは、たくさんのハードルがあります

私も、本当に落ちたのか、
ずっと持ち運んでいた痛みを解放できたのか、
実際にその人たちにまた会ってみないとわかりませんが、
ひとつ、階段を昇れたことは確かなようです(*´ω`*)

それは挑戦に他なりませんが、
実際の生に起こる様々な課題を通して、そこに真の「愛」を実現していくこと

それが、私たちの歩む道であり、
進化の道なのです




















1 件のコメント:

  1. こんにちは、覚醒のトランスミッション、仕事に行くときも、持ち歩いて、

    何か分からないことがあると、ペラペラとめくって、辞書のように使っています。(^_^;)

    ちょっと前まで、探求や人間関係、無意識、無神経な社会との付き合いに疲れていたので、

    色々な立場や視点の方々たちが書いた本や、ブログなどを、ピンと来たものは、片っ端から読んだり、覗いていたのですが、

    「niceminato」ナイスミナトだと思うんですが、この方のブログは、

    その中でもとってもシンプルで、優しくて、分かりやすくて、

    人間社会には、繊細過ぎて、神経質な私にも、最高でした。

    智子さんも、ちょっと“niceminato”と検索してご覧になったらいいと思います。

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