2015年9月21日月曜日

プレイヤー瞑想、久しぶりのアップ

久しぶりに、プレイヤー瞑想のガイダンスをアップしました
ぜひ、訪れてみてください(*´ω`*)
http://aisiteruzei.blogspot.jp/


新しいレコーダーは、なんと、録音した日時が表示されません( ゚Д゚)
なので、いつのかわかりませんが
鶯が鳴いているので、たぶん、春です(;´Д`)

面白いもので、
録音起こしをし始めたら、
その内容がまさに今自分が直面している課題に関することでした(*´ω`*)

シンクロですね♪
(まあ、この世界では、シンクロするのは当たり前のことですが(*´ω`*))

先日アップした、
何度も何度もこの人生の中で繰り返し体験してきた古い古い痛みを解放し、
超えていくことですね

プレイヤー瞑想の時のガイダンスは、
生徒さんにチューニングして、
そのワンネスの中で行われるので、
あくまでも生徒さんにとってのもので、
私自身のためのものではないのですが、
結構、シンクロすることが多いので驚きます

昨日、
ディープ・ヒーリングの練習会があり、
そこで仲間とお互いにセッションをした後に、
私をセッションしてくれた人が、
「エネルギー的にはもう透明でスースーでとてもクリアなのに、
それでも人間の面ではいろいろ思ったりするんだね」
と、話してくれました

そう、
覚醒したらマジックのように問題が全て消えてしまう訳ではないのです

私たちは、霊的な成熟と完成へと歩んでいくように、
まさに同時に、
人間としての成熟、完成に向かって歩んでいきます

むしろ、霊的完成の後に、
初めて本当に人間としての成熟、完成に向かえるとも言えます

悟ったら、
傷つくこともなく、
全てが思うように運び、
誰からも愛され、
楽に生きていけるというイメージがありますが、
それはとんでもない誤解です

悟ったら聖人君子、もしくはスーパーマンになるというイメージのために、
悟ってもまだ到達していないと、逆に苦しむ人もいます

確かに、
悟る前と悟った後では、
その楽さは全く違います

明け渡せば明け渡すほど、
思うことが実現する、ということも確かにあります

だからといって、ネガティブなことが何もなくなるのではなく、
むしろ、
ネガティブなことに対してもポジティブに取り組めるようになる、という感じです

だからこそ、
私たちは、霊的な進化だけではなく、
人間の側面の成熟と完成も目指し、
人としてどう生きるかも探究していくことをサポートしています

そのため、最近、
「トータル・パス」という言葉が浮かんできています(*´ω`*)

また、このことについては、
もっと熟したら書きますね♪



2015年9月17日木曜日

許し

ここのところ、ずっとワークしていることがありました



それは、
私をあまり受け入れてない人たち、もしくは私を尊重しない人たちとの関わりを、
どうしていったらいいのか、というものでした

明らかに嫌われているなら離れることも仕方ないのですが、
そこがとても微妙で、
あからさまに「嫌いだ」と言ったり、そういう態度を取るわけでもない

明らかに侮辱されれば、それはそれで対応の仕方もある

でも、微妙に、本当には受け入れていない、大切には思っていない、という態度、行動を取り、
口では「ウェルカム」という意味合いのことを言いながら、
実は「ウェルカム」ではないということがわかってしまう

本当には仲間に入れてもらえず、
私に対して心の奥底で何かネガティブな感情を持っていることがわかってしまう

そういう、なにやら微妙な関係性の相手と、
一体どうつきあっていけばいいのか、
ずっと思いあぐねていました

というのも、私はその人たちが好きで、仲の良い関係性を持ち続けたいと思うからでした
それだけ、縁の深い人たちなのです

でも、いつもその人たちと関わると、
その微妙なエネルギーを感じ、
私の中は痛みでいっぱいになるのでした

スピリチュアルなシーンでは、
「自分を尊重しない人たちとは離れればよい」「自分を傷つける人たちとは離れなさい」というのが、ある意味、常識です

相手を変えることはできませんし、
相手を責めることにも意味はありません

それに、
もし、自分が相手の行為により傷ついたということを言えば、
それで関係性が終わってしまいかねないので、
どう伝えるかも非常に難しい問題です

私はその人たちから離れるべきなのか、
私は「ひとりあること」へと行かなければならないのか、と、
日々、ハートに深く入り、
その痛みにワークし、
ある時は「もう、こういう痛みはいらない、きっぱり離れよう」と決めたり、
ある時は「やっぱり、それでも好きだなあ、痛くても一緒にいよう」と決めたり、
心はどちらにも本当には決まらず、揺れ動いていました

離れることに、何かハートが納得しないのです

彼ら彼女らがそういう態度を取るのも、
私が痛みを感じるのも、
何か、そこに私が超えなければならないものがあるから、
存在が私にそういう状況を与えているのだ、と思うのです

なるようになれと、放っておこうとしても、
また痛みを起こさせる出来事が襲ってきて、
私をそこに向かわせようとするのです

「私は私を尊重する、けれど、彼ら彼女も尊重する」という道が取れないものか、
自分のハートとワークを続けていました





実は、この痛みは、転生の間ずっと持ち運んでいる感覚で、
今生でも全ての出来事をそのフィルターを通して体験しているものです

それは、
「私の大切な人にとって、私は大切ではない」
「私は尊重されない」
といったような感覚です

それは、強烈な痛みの感覚で、私を否応なく引っ張ります

この痛みの大元の原因を探るために、
何年も前に、前世療法を受けたことがあるのですが、
その時に、
この次元に来た最初の時か、まだまもない頃に体験した痛みを見ました

私はどこか遠いところの神殿で、
何か、月に関わるような神官だか巫女だかのような役割を持っていたのですが、
いつもたったひとりぼっちで、
いつも孤独にさいなまされ、
神に向かって、どうして私を一人にするのかといつも泣いていました

それだけではなく、もう一人の神官だか巫女だかがいて、
その彼女はとてもピュアで無邪気で、
王だか最高位の神官だか、そういう重要な人の傍にいつもいました

その王だか神官だかは、私にとっても重要な意味を持つ人であり、
私もその人の傍にいつもいたいと思っていました

でも、その人はもう一人の彼女だけをいつも連れ歩き、
私は遠いところに追いやられ、
忘れられたまま、ずっとひとりぼっちで放置されていました

無邪気すぎて私の孤独にすら気づかない彼女に対する妬みや、
私を大切に思ってくれない人に恨みがないわけではありませんでしたが、
じゃあ、自分が彼女を嫌いかと言えば、むしろ好きなのでした

その葛藤の中で、
だからといって彼女自身に対する感覚、感情が自分自身を苦しめている訳ではなく、
むしろ、
「自分は重要ではないのだ」「自分は愛されないのだ」という痛みの方がはるかに強いものでした

ただ彼女を憎んでいるのなら、かえって楽なのになあ・・・というくらい、
孤独の痛みの方が強かったのです

それもただの孤独ではなく、対比のあることによって、その孤独がいっそう引き立てられたのです

その時に見たストーリーとしてはそんな感じでしたが、
ストーリー自体に意味があるのではなく、
要するに、そういう状況で感じる痛みというものを強く体験していて、
その痛みをずっと持ち運び、
雪だるま式に強めて来ている、ということがわかりました

それを思い出しても、痛みは解放されませんでした
過去、他にもいろいろな療法やヒーリングを受けましたが、
それは解放されずに残ったままでした

それほど強く、魂に刻み込まれた痛みなのです

この痛みのブロックを解放しない限り、
人生の中でこの痛みに何度も直面することになります

それにずっとワークしてきていた訳ですが、
その根はとても深く、なかなか解放するに至りませんでした

尊厳を損なわれて痛みが起こる出来事があると、
「やっぱり私のことはどうでもいいんだな」→「私は尊重されていないんだ」→「悲しい」→
「痛い」→「ひどい」→
「愛とかいつも口にしていながら、自分たちが私にしていることに気が付いているんだろうか」→
「言いたい」→「言えば関係が終わる」→「惨めな立場のまま終わりたくない」→
「気が付いて欲しい」→
「でも、全く気が付いていないわけではない」→
「そんな人たちのところにとどまる意味があるのか?」→「自分の尊厳を持とう」→
「ハートはどうしたいのだろうか?」→
「仲良くしたい、仲間になりたい、お互いに大切に思い、尊重し合える関係でいたい」→
「私は本当に好きなのだろうか?」→
「批判的に思うところはもちろんあっても、基本的には好き」→
「やっぱり、私から切るのは違う」→「でも、このままの関係にいるのは嫌」→
「ちゃんと大切にしてほしい」→「そう伝えたこともあるけど、結局こう」→
「相手がそうであるのは仕方ないし変えられない」→
「私の何が悪いのだろうか」→「相手の問題でもある」→
「どうしたら愛されるのか」→「やっぱり私は愛されない」→・・・・

と、抜け道のはっきりと見えないルーティンの中にはまり込んでしまうのです

ブロックになっていることはいつもそうですが、
何か頭の中に霞がかかっているような感じで、
どこかクリアにならない感覚がつきまとい、
明確な抜け道が見えず、グルグルと回っている感覚に陥るのです

なかなか視点を変えることができないのです

変えようと思っても、そこでストップしてしまって、なんだかよくわからなくなってしまうのです

でも、もう、いい加減にこれから卒業したいと本気で思いました

何世もずっと挑戦し続けてできなかった課題かもしれないけど、
いい加減、ここでクリアしたいと思いました

絶対的に違う視点に到達したいと思ったのです

一昨日、
瞑想をしながら、その痛みの中に入っていき、
この延々と続けてきた痛みという、遺伝子に刻み込まれた傷を、
本当に癒し、解放していきたいと願いました



翌朝、朝食を食べている時に、
ふっと、何かに気づきました

そのとたん、何かが解放されたのを感じました

ただ、それだけのことが起こりました
劇的でもなんでもなく、小さな内面の動きに過ぎない出来事でしたが

でも、何に気づいたか、実は、覚えていないのです
(そこ、重要なんですけどね(;´Д`))

何か、全く視点が変わった、という印象だけは覚えているのですが

どう変わったのか、覚えていないのです(;´Д`)

気づいた瞬間にシフトが起こった時は、
よく、気づいたことが何だったか、後で思い出そうとしても記憶がないことが多いのです

気づいたことを覚えている時は、
実はまだ消化し切っていず、真のシフトが起こっていないようなのです

シフトが起こっちゃうと、覚えている必要がなくなってしまうのでしょう(*´ω`*)

そして、その後プレイヤー瞑想をしたときに、
そのガイダンスの中で「許す」という言葉が出てきました

リトリートの中で、生徒さんのためのガイダンスでありながら、
私自身ともシンクロしていたのです

その中で、私は、私自身を深く許していたのです
私を尊重しなかった相手や、その相手の行為も許していたのです

結局、私は深いところで自分も相手も許してなどいなかったのですね

「許す」、朝食の時に気づいたのは、きっとそれだったのでしょう

「許し」
それこそがやっぱり「愛」の方法だったのです

「愛」は、許しているのです




そんな、ある意味わかり切っていることですが、
真に「わかる」ことはなかなかにして難しい(;´Д`)

私は一体、何世かかったのでしょう(;´Д`)

「許そう」としている時は、実はまだ許していないのですから

許した時は、全てが落ちます

人間の生においても、真の愛に到達するのは、たくさんのハードルがあります

私も、本当に落ちたのか、
ずっと持ち運んでいた痛みを解放できたのか、
実際にその人たちにまた会ってみないとわかりませんが、
ひとつ、階段を昇れたことは確かなようです(*´ω`*)

それは挑戦に他なりませんが、
実際の生に起こる様々な課題を通して、そこに真の「愛」を実現していくこと

それが、私たちの歩む道であり、
進化の道なのです




















2015年9月13日日曜日

奉納演奏 in 天河大弁財天社  「伝説の一曲」♪

6月19日、友人の音楽家夫妻が、
奈良の天河大弁財天社でシンセとハープの奉納演奏を行いました

(顔は消してあるので、変になってますが)

二人とも、アジズとフーマンとのワークをずっと一緒にやってきた瞑想仲間で、
ともに覚醒している方ですが、
特に旦那様の方は、高次の次元とつながり、それを即興で曲に表すことのできる素晴らしい演奏家です

私たちのリトリートの中で、瞑想中に音楽をかけることがよくあるのですが、
どんな有名なヒーリングや瞑想音楽家のCDより、
彼のCDの方が、本当に高次のエネルギーを伝えてくれるので、
一番よく使っています

そんな素晴らしい才能を持った演奏家でありながら、
まだ世にはあまり知られていません

いつ、ブレイクが起きてもおかしくないほどの演奏なのですが(*´ω`*)

私は密かに、「世界一って言ってもいいんじゃない?」って思ったりもしているのです(*´ω`*)

演奏を知る人たちには、その素晴らしさがわかっているのですが

本当に、その音楽を瞑想しながら聴くと、これ以上優しい音楽はないだろうと思うのです
全くマインドフルなところがないのです
こんな音楽は、他に聴いたことがありません

彼のハートのエネルギーの優しさが満ち溢れています

エネルギーのわかる人なら、絶対にわかると思うのです

なのに、名前が売れていない

まあ、私たち以上に宣伝とか苦手なお二人ということもありますが、
それだけではないのかもしれません
というのも、何度か彼をプロデュースしようとする人が現れたこともあるのですが、
彼自身がそういうビジネスのエネルギーに合わず、
結局のところ、いつも実現しないで終わってしまうのです

そういう彼だからこそ、
本当に純粋に高次のエネルギーとつながる演奏が可能なのかもしれません(*´ω`*)


そんな彼らが、ついに天河大弁財天社で奉納演奏をするというので、
「これはお手伝いに絶対に行かなくては!」と、急遽天河行きを決めました

実は、その一月後にクリスタル屋の展示即売会を控えていて、
奉納演奏の日程がその唯一の準備期間に当たっていたため、
本当は奈良まで行っている場合ではなかったのですが、
ずっと応援をしてきた二人の晴れ舞台とあっては、行かない訳にいきません( `ー´)ノ

あの重たいシンセとハープを二人だけで天河の階段を運び上げられるとも思えず、
準備とかも心配で、
何より、絶対に演奏を録音したいと思ったので、
(本人たちだけだと、滅多に録音してなかったので)
自分たちのやるべきことも放り出して、天河行きを決行しました

逆に、販売会の準備期間として取ってあったので、
他の仕事が入っていずに、行くことができたとも言えます
(神様、なんて采配をなさるのかしら?!(/_;))


奉納演奏の前夜、天河の近くの洞川温泉の「紀の国屋甚八」というお宿に、
その友人夫妻と一緒に泊まりました

「紀の国屋甚八」は、洞川温泉の11の老舗のひとつで、創業300年という、
建物も江戸の旅籠を彷彿とさせるような、明治大正の香りのただよう、
情緒ある風情です

ゆっくりと温泉も楽しみ、食事も大変おいしく、4人で堪能しながらいただき、
明日に備えて、10時過ぎには布団の中に入りました

うとうととしかけた頃、「どたどたどたっ」と、
部屋の前の廊下を歩くというか、駈けるというか、足音が響き、
ばたんっ」とドアが閉まる音がして、
また、「どたどたどたっ
だだだだだっ」と階段を下りたり登ったり、
何度も部屋も前をどたばた音を立てて行き来する音が響いてきました

最初は、「まあ、お宿の人が忙しく立ち働いているのかしら?働きものだねえ」と思っていましたが、「それにしてももう少し、静かに動けないものかしら?」と眉をひそめる程、
すごい音を立てて行ったり来たりしています
しょうがないなーと、思いながらも、
翌朝早いので、寝ることにしました

でも、うとうとしかけると、「どたどたどたっ」「だだだだだっ
と、起こされてしまいます
まるで、体育会系の大柄な男子がどすどす歩いているようなのです

それが、12時過ぎまで続き、さすがにお宿の人とも思えなくなり、

「私たちの他にはもう1組しかお客さんいないって言ってたけど、体育会系の若い子たちなのかしら?」

でも、酔っぱらってトイレに行ったり、お風呂に行ったりするような頻度ではなく、
もっと頻繁に部屋の前を通るのです

さすがに寝られないので、注意でもしに行こうかと思った時、
ふっと「あ、お迎えに来てるのかも」と思いました

天河の後、熊野本宮大社の奥宮である玉置神社に行く予定だったので、
そこの天狗かどうかわかりませんが、そこから目に見えない何者かがお迎えに来ている、
とふと思ったのです

確かに、怖かったり不快だったりというネガティブな感じは全くなく、
なんだか「体育会系」って感じの明るい感じなのです

「なら、ウェルカムってことだから、しょうがないなー」と放っておくことにしましたが、
結局、夜中の3時半近くまで、それは続きました

これは、私だけでなく、パートナーも友人の二人も聞いていました
私以外は12時くらいには寝られたようでしたが

そんなこんなで、ろくに寝ることもできないまま、6時には起床

朝食の時にお宿のご主人に「夜、どたどた足音がうるさくて寝られなかったんですよ」と話すと、
「あ、出るみたいですよ、座敷童。よく、お客さんに言われるんですよ」とのこと

よく出るんだ!( ̄▽ ̄)

さすが、老舗!300年!

でも、座敷童みたいにかわいくはなかったなー(;´Д`)

あれは、天狗ですよ、たぶん(-ω-)/
か、修験道の修行者?

天河の奥宮の弥山山は、修験道の行場の大峯奥駈道でもあり、
そもそもが、修験道の始まりのところでもあるらしいので、
弥山から来たのかもしれませんが

でも、なんだか体育会系の頼もしい彼らが応援しに来てくれたようでうれしく、
心強くなった私たちでした(*´ω`*)

そんなウェルカムの後、おいしい朝食をいただいて、
いざ、出陣!

天河大弁財天社に着くと、裏口の方の緩やかな階段から搬入することができ、
それでも、4人で何往復もわっせわっせと機材を運び入れるのは大変な作業でした

(やっぱり、二人だけだったら、大変過ぎでしょ)と、
それだけでも来たかいがあるというものです

セッティングがようやく終わり、音合わせを始めようとした時、
ちょうどご祈祷がひとつ入ってしまい、
音を出すことができません

時間も迫って来て、ちょっと焦りました
しびれを切らして、ヘッドフォンにしてシンセの音出しを始めると、
なんと、スピーカーから音が!
慌てて止めに入りましたが、案外、ご祈祷の声と合っていて、
それほど違和感もなく、そのまま続けてても良かったかも( ̄▽ ̄)

短い時間でしたが、無事に音合わせも済ませ、
録音のスイッチの入れ方も教えてもらい、(ただ1回押すだけでいいから、と教わりました)
二人も衣装に着替え、
一緒にご祈祷を受けました

私たちは、クリスタル屋で来場者の方にプレゼントするビーズを持ち込んで、
「このビーズを身に着ける方に幸せがもたらされますように」との願いを書いて、
ご祈祷をあげてもらいました

すると、宮司さんがそれをものすごく膨らませてくださり、
果ては地球の平和まで広がり、それはそれは素晴らしいご祈祷をあげてくださいました

ご祈祷が終わり、
いよいよ演奏開始です

慎重に、彼らが録音できるようにセットアップしておいてくれた録音機のスイッチを押します

たった1度の本番ですから、
失敗はできません
もう、ドキドキです(;´Д`)

でも、こういう演奏は、なぜか録音できないことが多い、とも聞きました
それもわかるような気がするし、
正直、なんだかそんな感じもあったので、
冗談で「伝説の演奏になったりしてね」などと笑いあっていましたが、
(いやいや、絶対に録音欲しいでしょ)、と思う私でした( ̄▽ ̄)

無事に録音機のライトが点滅し始めたのを確認して、
ほっとして、撮影に走りました


舞台横手から入場してきた二人は、
弁天様に向かって、深々~っと、頭を下げます

深々と頭を下げることで、
神のエネルギーを受け取り、つながることができます

長い長い挨拶でした


ますは、ハープの演奏から始まりました
オリジナルの曲2曲と、即興です

舞台からハープの音色が本殿内いっぱいに優しく広がり、
心が洗われていくようでした

まだ、彼女は即興を始めてから間もないのですが、
どんどん新しい境地へと、進歩の一途を辿っています

今までで、最高の即興となりました

あちこち走ってカメラと携帯で写真を撮ったり、動画を撮ったりしていたので、
(今度、両人の了解を取って、アップしますね)
ゆっくりと落ち着いて聴くことはできなかったのですが、
それでも、
なんだか、手塩にかけた我が子が晴れ舞台で成功するのを見るように、
胸が熱くなり、涙が滲みました

彼女にとっても、とても大きな一歩だったと思います
これからの彼女の演奏がとても楽しみです♪

次は、彼のシンセの演奏です

前もって、曲に題名をつけて提出しなければならなかったらしく、
『大地から天へ』と、『地球の平和への祈り』という題にしたとのことでした

『大地から天へ』
消音から、極限のピアニッシモへと、それをためて、ためて、ためて、
まるで、原初のエネルギー、源泉のエネルギーから静かな波が現れて、
次第に姿を現していくように、
ぅわーーーっと、少しずつ、雄大に極限のフォルテへと!!!

入魂の出だしです

もう、その振動が全身を貫き、
号泣してしまいました

それは、彼女の時に感じた胸の熱さとは少し違う、
もう、魂そのものが揺さぶられる熱さでした

彼の、魂そのものが、音となって響き渡っているのです

まさに、大地から天へと、
私たちを貫いて、エネルギーが駆け抜けていく

「すごい!!」

その時、私に理解が降りてきたのです

「ああ、彼にはそれだけのものがあるからだ」


実は、なぜ自分がこの奉納演奏の手伝いに来たのか、
それまで自分の中で釈然としないものがあったのです

来ること自体に迷いは微塵もなかったのですが、
異常な忙しさの中で、
奈良までの交通費と宿泊費も自腹で、本当に貴重な時間も割いて、
ヘロヘロしか残ってないわずかな体力も使って、
どうして彼らのためにここまでやってあげようとするのかと、
そんな自分自身に、神の不公平さに、怒りが爆発したこともありました

時間、体力、お金に余裕のある時なら、
いくらでもOKですが、
それらが全て全くない時に、
目前に自分たちにとって重要なイベントが控えており、
そのための準備を投げ打って駈けつける訳ですから、
完全に自分たち自身より彼らを優先している訳です

だからといって、私たちのイベントを、彼らや、
もしくは他の誰かが手伝ってくれるわけではありません

私たちが誰かをサポートしたからといって、
誰かが私たちをサポートしてくれるわけではないのです

私たちのことは、私たちが何とかしてやらなければならない
いつも、そうやって、スペック・アップを余儀なくされる状況が起こるのです(/_;)

自分自身、なぜ、頼まれてもいないのに、
自分のやるべきことを犠牲にしてまで彼らのためにやろうとするのか、
今回に限らず、彼らのために労をいとわず、徹夜とかもして、
自分たちの方がヘロヘロになってしまうことが何度もあったので、
どうしていつもそこまで彼らのためにやろうとするのか、
そんなのが本当に愛なのか、
それでもやらずにはいられない自分に、
そしてそういう状況を与える神に、
一方で憤りを感じずにはいられませんでした

でも、それも、その演奏を聴いた時、
わかったのです(*´ω`*)

それだけの犠牲を払う価値が、彼の演奏にはあるのです

もう、彼の人生最高の、渾身の、
魂ののった演奏でした

聴くだけで魂が揺すぶられて号泣してしまう曲など、滅多にあるものではありません

生で、間近で聴ける、
その魂の叫びとも雄たけびとも言える振動の中にすっぽりと身を包まれる、
この場に居合わせられたことに、
心からの感謝が沸き起こりました

まさに、一期一会です

音楽は、特に即興演奏は、まさに一期一会です

どんな高性能の録音も、この場の全てを録り切れるわけではありません

全身で感じられる、その素晴らしさ・・・言葉ではいいつくせません

「ここにいられてよかった」そう、心から思いました(*´ω`*)

宮司さんも、駈けつけていらして、
ずっと熱心に聴き入っておいででした

本当にすごい演奏でした
一世一代の曲、というのは、こういうのを言うのでしょう

次なる曲は、

『地球の平和への祈り』
うって代わって、
穏やかな、優しい、
でも、深遠な、まさに「祈り」の曲となりました

1曲目の衝撃があまりにすごかったので、
どうなるかと思いましたが、
全くエネルギーの異なる、
でも、1曲目とつながっていて、むしろ、それを完結させるような曲でした

「祈り」とは何か、
「愛」とは何か、
「平和」とは何か、
言葉ではなく、音そのものでそれを教えてくれるような曲でした

本当に、弁財天への奉納にふさわしい、
素晴らしい即興演奏でした



一同、
大感動と大満足のうちに、
奉納演奏を無事に終え、
撤収




途中、地元の方々が大事に守り続けている、
円空さんの仏像が祀られているお堂によって、
十津川の宿に向かいました

宿に着いて、さあ、無事に録音ができているか・・・

と、
何も入ってない!!!

なんと、あれだけ苦労して、
何も録れていないのです!!

が~~~ん( ゚Д゚)

「えっ?!ちゃんとスイッチ押して、ライトも点滅してたよ!だから安心してたんだけど。」と言うと、
「点滅?録音してる時は、ライトつきっ放しだよ。点滅は、録音準備段階なんだ。何が起きたんだろう?もしかしたら、ご祈祷あげている間に、長かったから、リセットしちゃったのかな(T_T)」
と、彼ら

そんなことがあるのか、何が起きたのか、わからないけど、
とにかく何も録音できてなかったことだけは事実( ゚Д゚)

ああ、やっぱり

弁天様が演奏、全部持っていっちゃった|д゚)

不思議だけど、本当にそんなことがあるのですね~( ゚Д゚)

でも、それだけ、弁天様も気に入ってくださったのでしょう( *´艸`)
それもすごくよくわかります

だけどやっぱり、録音できてなかったのは皆ショックで、
「ああ、録音機の操作、ちゃんと聞いておけばよかった」と悔やむ思いもありましたが・・・
起きたことが起こるべきこと

でも、なんだか、それで本当の奉納演奏になったような感じでもあるし、
皆、納得

冗談ではなく、
本当に「伝説の1曲」になってしまいました・・・とさ

(*´ω`*)

うう~ん、
でも、やっぱり、皆にもあの曲を聴かせてあげたかったー(>_<)











2015年9月10日木曜日

クリスタル屋the Path お礼

先日の展示即売会にお越しいただいた皆様、
酷暑の中、本当にありがとうございました<(_ _)>

台風直撃の予報も、龍神様へのお願いが届いたのか、
日本を逸れ、無事にお店を開くことができました

お礼&ご報告のブログを書かなくては、と思いつつ、
もう、季節は秋・・・・・ひと月以上経ってしまいました(;´Д`)

怒涛の忙しさの中、準備も十分にできず、
それぞれの石の説明文の用意もままならぬ状態で、
当日の朝の4時までかかってとりあえず石を全部配置して・・・
と、そんな状態でしたので、
本当に暑い中お越しくださった方々に、おもてなしも行き届かず、
至らない点も多かったことだろうと思います

それでも、来てくださった方々が、いろいろ石を見て楽しんでいただけている姿を見ているだけで
なんだか幸せになってしまいました(*´ω`*)

今回は紹介したい石たちが多過ぎて、
どの子もどの子もクローズアップしてあげたくて、
きっと、説明を聞くだけでお疲れになってしまった方もいらしたことと思います

でも、見ただけではわからない石のあれこれを聞いて、
楽しんでくださる方がほとんどで、
私たちもついつい、話が止まらず、という感じでした( *´艸`)

今回は、忙しいのもありましたが、
なぜかエネルギーも事前の告知や宣伝にあまり向かず、
普段交流のある方しかお誘いすることもできなかったので、
本当にお客様が来るのかしら?と思いながらの販売会でした

それだけに、ご来場の方々が私たちとのつながりを大切にしてくださっていることを感じられ、
本当にありがたいことでした♡

もう、外に出るのも嫌になるほどの酷暑の中、遠く西荻まで足を運んでくださり、
皆さまの顔を真っ赤にして汗だくで玄関を入るお姿を見て、感謝でいっぱいになりました

パンフを置かせていただいたり配っていただいたアーナンダ・ヨガ・スタジオや寺子屋、
「やまねの家」のFちゃんのフェイスブックでの宣伝などのご協力もいただけて、
思った以上の人数の来場者があり、結構の賑わいとなりました(*´ω`*)


ただ、ここ2年の間に石の価格がうなぎのぼりに上がっていて、
the Pathとしては、前回同様、「すごいお得感♪」をお客様に持っていただきたいと思いながら、
そもそもの仕入れ価格が高いので、そういう価格設定が難しく、
それはかなり残念なことではありました(/_;)

パワーストーン人気がグローバルに高まっていることもあり、
産出国やカルテルの政策で年間の流通量を制限していることもあり、
中国が買い占めていることもあり、
バイヤーが直接鉱山に買い付けにいくようになり、鉱山主が末端価格を知ったために、
鉱山出の価格が暴騰してしまったこともあり、
様々な理由から、
ここ2年で価格が倍ではきかず、冗談ではなく桁がひとつ違ってきているような状況です( ゚Д゚)

本当に、異常な価格上昇です(; ・`д・´)

それでも、販売会では市価よりはずっとお安く設定したのですが、
やはり、前回をご存じの皆さまは「高いな~」感は免れないようでした

(それでもお買い上げくださった皆様、本当にありがとうございました!!!!!(*´▽`*))

そういうことも大きく影響したのでしょう、
今回はビッグな子たちが皆、嫁入り先が決まりませんでした(;´Д`)


当然、結果としては大大大赤字でしたが、
なんだか、今回はそんなような気がしていたし、
それでいいような感じなので、
そういうことだったのでしょう(*´ω`*)

なんだか、その方が次のステップに進めそうな感じだったので

the Pathとしては、やはり石とお客様が直接出逢って、
ゆっくりと石と交流しながら、そのエネルギーをじっくりと感じながら、
選んでいける場を提供したいと思ってきたのですが、
ブログとかでのんびりボチボチと紹介していくのもいいなあ、
と思い始めていたところだったからです

今時フェイスブックもツイッターもやらない私たちにとって、
口コミだけで顧客を増やしていくのには限界もありますしね
なんにせよ、宣伝がどうも苦手なので・・・(;´Д`)

なので、10月位からぼちぼち、
ブログで1点ずつアップしていけたらいいなあ、と思っています

まだまだ、いい子たちがたくさん出逢いを待っています♡

石好きの方、ぜひ、ご覧になってくださいまし(´▽`*)

石は、本当に地球からの贈り物♡

はるかな過去からって思うのが普通だけど、
なんだか、はるかな未来からの贈り物、って気がしてます♡

なんだかね、未来の私たちがあらかじめ準備しておいた、みたいな( *´艸`)
というか、宇宙がね(*´ω`*)
だから、私たちの進化に合わせて、
次々に新しい波動の石たちが産出されるようになるのでしょう

道端の石ころでも、
パワーストーンでも、
磐座でも、
それぞれにそれぞれにエネルギーを持ち、
私たちにいろいろなものを与えてくれます

石の魅力を少しでも多くの人に伝えていけたら、と思っています

最後に今一度、
ありがとうございました♡

これからも素敵なパートナーになってくれる石たちを紹介していきますので、
今後とも、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします<(_ _)>