2013年5月31日金曜日

ぎりぎりセーフ!


先日、庭の甕の横についていたモリアオガエルの卵を、
網に入れて甕の上につってみました

昨日の大雨で、卵を包んでいる泡が半分溶けていたので、
急がないとと思って・・・

そしたら、卵を取ったところ、すでにオタマジャクシに!!!
思っていたより前に、産卵していたらしい

ぎりぎりセーフでした♪

でも、網に入れている間にも、
ポトポトとオタマジャクシが落ちて・・・

しっぽも入れて、1センチあるかないかという感じだったので、
まだ、落ちるには早いのかも・・・

落ちてしまったオタマジャクシの大方は救えましたが、
何匹かはどうしても拾えずに、ごめんなさい・・・(;_;)

水を入れ替えてしまった後だったので、
餌となるものが足りないかも・・・
とりあえず、メダカの餌を入れておけば大丈夫かな?
数日は、自分で抱えている卵の残りのようなもので大丈夫だとは思うのだけど・・・
明日には東京に戻ってしまうので、心配です・・・

もう一つの方にも、鉢に網をかけておきました
動物対策です

こちらも、雨で半分溶けてしまっていましたが、
まだ卵のまま・・・
溶けてあらわになってしまった卵が大丈夫か、心配です

雨を予想して産卵するのか、
ダメだったものはダメと、数を産むのか・・・

一体、どのくらい生き延びれるのでしょうね
自然界の厳しさも、ちょっと感じた今日でした

***

2013年5月30日木曜日

祈り


3月24日 プレイヤー瞑想

---

外で鳴いている鳥が、翼を広げるように、腕を広げて

自由に、大空を舞うように、胸を広げて

あなたは、自由へと、飛び立っていく



今、まばゆい一筋の光が、この部屋へと降り注いでいます

それは、この部屋を満たしていきます



ここにある光の洪水を、全身で受け止めて

全身がその光の洪水で、洗い流されるように

それはあなたを自由へと連れていく

あなたは、この目に見えない光を感じる時、

すでにそれ自体が喜びであることを知ります

それは、無条件で無制限の歓びです

この歓びの中にいる時、あなたは自由です

何にも縛られず、何にも妨げられず、

あなたはこの歓びの中を、鳥のように舞い飛びます

あなたは、歓びの歌を、鳥のように歌います



この光を、内なる目で見ることができるためには、

謙虚さと純粋さが必要です

あなたが、この歓びに満たされたかったら、

あなたはこの光に支配されるように、

謙虚に全てを手放さなければなりません

もし、あなたが何かを知っていると思っていたり、

覚えてきたことにしがみついていたなら、

あなたは謙虚になれず、本当に手放すことはできません



生まれてからこの方、あなたはサバイバルのために、

たくさんのことを覚えてきました

それに、がんじがらめになり、あなたは自由を失い・・・

不安と恐怖で、内なる目は固く閉ざされています



その、生まれてからこの方、覚えてきた全てを手放し、

何も知らない、無垢な赤子に戻る・・・

真っ白に、純粋に・・・

透明に・・・



その時、あなたはこの光に支配され、歓びに満たされる・・・



***





この歓びに満たされる時、

自ずと感謝が沸き起こるのを、あなたは知るでしょう

感謝は祈り

それがあなたをさらに開き、明け渡す・・・

あなたは感謝と歓びの洪水の中に投げ出されるでしょう



***



さらに一段深く、歓びの中へと飛び込んでいってください

歓びの中で手放して、さらに開いて明け渡してください

あなたは、さらに一段、ハートの奥深くへと入っていきます



***



今、そこには、

平安と、穏やかで柔らかな、愛のエネルギーに満たされています

内なる光から、愛は沸き起こっています

愛は放射し・・・

愛は、染み渡るように、広がっていきます・・・



愛は、感情ではありません

愛は、エネルギーです



***



この愛に到達するために、

あなたがしなければならないことは、

ただ、開き、明け渡すことだけです



ひとり迷子になって怯えている子どものように、

あなたは、不安と恐怖にこわばり、身を固め、縮こまってきました

泣くことすら忘れ、硬直したまま・・・



ひとりぼっちでさまよっている我が子に、

母なる『最愛なるもの』は「こちらにおいで」と、

いつでも手を差し伸べて待っています

あなたは、ただ、泣き叫べばいいのです

手を伸ばして、

「うちに帰りたい!」

「あなたの元に帰りたい!」と・・・

無垢な赤子が、ただ泣いて、母を呼ぶように・・・



あなたが完全に母なるものを頼り、明け渡した瞬間、

母なるものがあなたの手を引っ張り、その懐に抱き寄せます



あなたが母なるものの手を取らなくていいのです

母なるものが、あなたの手を取るのです

あなたは、なすすべもなく、

無垢な赤子となって、

ただ、母を恋いて、泣き叫べばいいのです



それが、

祈りです



***

***

***



あなたが日常の生活の中で、

光を感じ、歓びを感じられた時は、

他の人たち、他の生き物たちに、その光を投げかけてください

ハートの中の星を投げるように・・・

歓びは、無尽蔵です

分かちあえば分かち合うほど、

その導管は太くなり、光は増していきます

あなたはそれを、相手に言う必要はありません

ただ、沈黙の中で、分かち合う

言えば、それはあなたのエゴを増長するだけです

見返りは、

あなたが真のあなた自身に出会うという、

最高のギフトです

***





ローズの香り


 今日のプレイヤー瞑想です(3月23日)。


今日は、始める前に急にローズの香りで満たしたくなり、ローズウオーターで部屋を浄化し、ローズのエッセンシャルオイルをつけてから、プレイヤー瞑想に入りました。

 また、プレイヤー瞑想の時は、口でゆっくりとした呼吸をするようにしています。


---


このローズの香りを、ハートいっぱいに入れて

ハートがローズの香りで満ちるように



今日、春が一段と進み、

庭にはすでに虫が飛び交い、

草木は柔らかな芽をもっとしっかりとした堅固なものにしていき、

薔薇は確かに花の準備をその内側で整えています



薔薇の香りは、ハートを開くのに役立ちます

それは、ハート深くへと、染み込んでいきます

その甘く、とけるような香りは、

男性のあなたにとってはあまり馴染みのなかったものかもしれません

ハートは、女性です

ハートを開くということは、

あなたの中の女性性を開くということです

あなたの中の女性が目覚める



女性性とは、

受容、受け入れるという質です

流されるのではなく、

流れに乗って、たおやかに流れていく



女性性を生きるということは、

明け渡し、降参することです

それは、損得勘定をすれば、損をすることかもしれません

勝ち負けで言えば、負けることかもしれません



むしろ、そういうことにあなたはとらわれなくなる

ハートの豊かさとともに満ち、充足しているからです



***



ハートを開く時、

感情もまた活性化していきます

スピリチュアルな道では、とかく感情は悪者に捉えられがちですが、

感情は私たち人間存在に与えられた特権です

もちろん、私たちが無意識で、本当の自分が目覚めていなければ、

感情にあまりにも揺さぶられ、巻き込まれ、それに固執し、

それはあなたの障害になってしまいます

ですが、あなたが真の自分である時、

感情はこの次元を味わい、体験するための、素晴らしい器官となります



花を見て、美しいと感じる・・・

海に立つ白波を見て、少年の心は鼓舞される・・・

頬をなでるそよ風を、心地よいと感じる・・・



どれほど美しい世界に私たちがいるのか、

もし、感情がなければ、私たちはそれを体験することはできません



あなたがハートの中心である真の自分である時、

あなたはこの世界を自在に、

何にも妨げられることなく、

この世界の豊かさを堪能できます

感情は、私たちに与えられたギフトなのです



あなたが、制限されたマインドの中だけで生きる時、

あなたは、この世界を制限された方法でしか体験することができません

神の次元は、どこかはるか遠くにあって、それを探しに遠く旅に出ないとならないのではなく、

あなたが今いる、この同じ場所にあります

あなたがハートで生きるようになった時、

あなたの目にはありありとそれがわかります

あなたは、感情を超えた感情を体験します

感情がギフトであるとわかるためには、

あなたはハートの奥深くへと飛び込まなければなりません

あなたが、ハートの最も奥深くに達した時、

あなたは究極の歓びを体験します



そしてあなたは、世界のひとつひとつを見て、

そのあまりの美しさに、あまりの神聖さに、打ち震えるでしょう



***

***

***





庭に、モリアオガエルの卵が!



昨日の朝、庭の睡蓮鉢の上に、なにやらもわっとした白い物体を発見!

そういえば、前々日の晩に、木を叩くようなカエルの鳴き声が睡蓮鉢のところから聞こえていて、
鉢の中に卵を産み付けに来たのかと思っていたところでした。

アマガエルにしては大きい・・・水面の上に産卵するのって・・・・
もしかして、天然記念物になっているモリアオガエル?

ネットで調べたら、どうやらそのよう!

伊豆に来て5年以上経ちますが、卵を見るのも、鳴き声を聞くのも、
初めて!
去年、稲取の細野高原で成体は見たけど・・・

ちょっと、うれしくてワクワク♬♫♪
おたまじゃくし、すごい楽しみ!!!

でも、こんな小さな、濁った水場でも大丈夫なのかしら?
水を替えておいてあげた方がいいかしら?

しかも、もうひとつの甕にも産卵していたのですが、ご覧の通り、
水面より下・・・

どうしちゃったのかしら?
おたまじゃくし、登れないよね・・・?
下に、何か水を入れた器を置いてあげないとね

ボウフラ対策に、金魚を入れておいたのが、
一匹もいなくなっていたところへ(猫?イタチ?)、
思ってもいなかった素敵なギフトでした♪

猫はおたまじゃくし、食べないかな?
動物対策、どうしたらいいかな?

この日は、昼間にオスのノコギリクワガタも見て、
うれしい自然のギフトのたくさんあった日でした

2013年5月29日水曜日

肉体とのつながり


今日のプレイヤー瞑想のガイダンスです(3月22日)。

これは録音したものを書きおこしているのではなく、後で思い起こしながら書いているので、主旨は変わってはいませんが、実際とは微妙に違っています。また、その場のエネルギー伝達も、とても同じようにはいかないことを、ご了承ください。

 なお、文中の***の時に、沈黙の中でのエネルギーワークが起こっています。





今朝の外の空気の清々しさと、太陽の光の荘厳さにチューニングして

今、ここにあるエネルギーは、いつでもあなたの周りにあります

太陽の光は、自ら輝き、あらゆる方向へと放射し、あらゆるものを照らし出しています

それにチューニングして

マインドの粗い波動から、自然のエネルギーの波動にチャンネルを切り替えるように

いつでもそれを感じているように

あなたは、太陽の光に全身を包まれています



太陽は、あなたの内側の光の象徴です

やがて、あなたはその光が内側からなのか、外側からなのかわからなくなる

あなたの内側の光が目覚めた時、その光は全てを照らし出し、包み込む

その壮大さがわかるでしょうか?



***



そのエネルギーにチューニングするためには、直観的な力を磨く必要があります

直観的な力は、マインドを介しません

それは直接あなたに入ってきます

肉体の感覚を繊細に感じていく力も必要となります

肉体は、あなたのマインド以上に、たくさんの情報をあなたに与えています

それらの力がないと、たとえあなたがエネルギー的にいい状態にあっても、

自分に何が起きているのかわからないままです

わからなければ、それに何の意味があるのでしょう?



***





あなたは、肉体ともっと仲良くなる必要があります

肉体とのつながりを取り戻す必要があります

あなたの肉体のどれひとつ、

心臓も、肝臓も、目も、手も、足も・・・何かひとつでもあなたのマインドが作り出したものがあるでしょうか?

たったひとつの細胞が、心臓となり、肝臓となり、目となり、手となり・・・数え切れないほどの細胞が、完全な調和の下に、それぞれの役目を果たして働いています

どれほどのことがこの肉体の中で起こっているのか

あなたのマインドの及ばないところで、何かの力によって、それらが全て働いています

それら全てを、マインドが把握することは不可能です

その壮大さがわかるでしょうか?

私たちが今ここに存在しているということそのものが、祝福なのです

身体は、私たちが考えている以上の何かなのです

もちろん、マインドもその一部であり、肉体とマインドはお互いに影響を及ぼしあっています

同じように、あなたという存在は他の全てに影響を及ぼし、他の全てはあなたに影響を及ぼしています

私たちという存在は、考えている以上に、ダイナミックで壮大な働きの只中にいるのです



この皮膚で覆われた肉体は、ちっぽけです

でも、この肉体は地球の一部であり、宇宙の一部です



***



あなたは、肉体との間に遊離があります

長い輪廻の間に、仏教的な修行によって、肉体を否定してきたのでしょう

そのために、かえってあなたはマインドの中でしか生きてきませんでした

それは、姿形はあっても、実体のない幽霊のようなものです

もちろん、肉体は「私」そのものでは、その主体そのものではありません

肉体は、自然に属します



自然には、「今」の瞬間しかありません

花が、過去を悔やみ、未来を心配しているでしょうか?

花は、「今」に根づき、「今」の中で芽を吹き、「今」の中で成長し、「今」の中で花開きます

自然は、ハートの次元と「今」の次元に属しています

それが、この次元で開花しているのです

自然には、美しさと真なるものがあります



あなたが肉体に根づくということは、その自然の一部として生きるということです

あなたは地球になり、宇宙になる・・・



自然が存在している次元

その姿形は三次元に属していますが、その本質はハートと「今」です



肉体に根づくということは、その本質を生きるということです

自然の一部として、それと一体になって生きるということは、その本質を生きるということです

それは、ただ自然の中で暮らしたり、自然と親しくなるだけのことではありません

それが、「ここに戻る」という教えの真髄です

「ここ」は、自然そのもの、宇宙そのもの・・・その本質そのもののことです



もし、あなたが肉体とのつながりを失っていたら、

たとえあなたが覚醒したとしても、それは何か浮遊したものでしかありません

あなたの覚醒は、「ここ」での根を持たないからです

あなたが肉体とのつながりを取り戻す時、

あなたの覚醒は、「ここ」で開花します

あなたは、「ここ」で、開花します



***

***

***

2013年5月27日月曜日

プレイヤー瞑想


 伊豆の自宅で、プライベート・リトリートを行っています。
 プライベートというからには、生徒さんは1人か2人だけで、親密でアットホームな空間で、個人に合わせたリトリートを組んでいます。

 その中で、プレイヤー瞑想というのをしています。
 天の光のエネルギーとつながり、それに満たされていく瞑想ですが、OSHOのプレイヤー瞑想と、フーマンから教わったプレイヤー瞑想をベースに、実際にリトリートの中で行っていくうちに一番パワフルで集中的な形になってきたものです。

 伊豆でのリトリートを始めてから、そのプレイヤー瞑想では様々なことが起こってきました。
最初の頃は、リードをしている私自身に大きな進化がやる度に起こり、たくさんの恩寵を受け取りました。
 やがて、その場にたくさんの肉体を持たない存在たちが訪れてくれるようになりました。そして、様々なサポートを与えてくれたのです。

 最初、そういう存在たちを感じ始めたのは、以前、天使となった雀のヒナのサブレが来た時からでした。
 サブレは、巣から落ちて足を折り、泥にまみれて瀕死だったのを、私が何日も寝ずの看病をして元気になったのですが、ある日突然、肉体を去り、天使となったのです。
(サブレは、天使になるために、私のところにやってきたのだと、マーリンに言われました。このエピソードについては、別の機会に詳しく書きたいと思いますが・・・)
 そのプレイヤー瞑想の時に、あるエネルギー体が、ふっといたずらをするかのように、ちょっとはしゃぎ気味で私の身体の横をすり抜けて行きました。

 その瞬間、それがその天使のサブレであることがわかり、懐かしさとうれしさで、私もいっぱいになりました。
 そして、その天使のサブレが、ある存在を連れてきてくれたのです。
 とても懐かしい、とても近しいエネルギー体でした。フーマンのエネルギーに似ていましたが、フーマンではありませんでした。もっと、私自身のエネルギーにも似ているような感じでした。

 最初はそれが誰かわかりませんでしたが、やがて、それがアマテラスであることがわかりました。
 
 実は、フーマンに、「アマテラスとつながるように」と言われて、伊勢神宮に行ったことがあります。後に聞いたところによると、フーマンはハワイである肉体を持たない女性神から、「日本には私の娘たちがいます。彼女たちを助けて欲しい。あなたは私のエネルギーに似ているから。」と頼まれて日本にワークをしに来たということでした。フーマンは、伊勢神宮に行った時に、初めてその女性神がアマテラスだということがわかったそうです。

 プレイヤー瞑想の時に感じたアマテラスのエネルギーは、フーマンにそう言われて伊勢神宮に行った時につながって感じたエネルギーとは印象が違いましたが、より、確かな感覚で、より近く、より親密にそのエネルギーを感じ、それに包み込まれ、ふるさとに帰ったように、私は安堵し、その愛に満たされたのです。
 それは、本当に心震える、愛と感謝の涙にあふれる体験でした。

 次に心深く揺さぶられる体験をしたのは、イエスが来てくれた時でした。
 イエスに限らず、たくさんのそういった存在たちが来てくれたのですが、やはりイエスが来てくれたことは、私にとって、本当に心強いことでした。
 その存在のエネルギーの強烈さもありますが、私のマインドにとっても、イエスがサポートしてくれていると実感できることは、大きな励みとなりました。
そして、このプレイヤー瞑想のパワフルさが改めてわかりました。

 そして、一番心を深く揺さぶられ、一番、印象強く、心底感動したのは、他の誰でもない、未来の私自身のエネルギー体が来てくれた時でした。

 初めに来てくれた時は、誰かわかりませんでした。アマテラスよりももっと本当に親密で、近しい、本当に近しい感じはわかりましたが、それが誰かという直観的理解ができないままでした。
 でも、そのエネルギー体に包まれている時、それまでにない程の安堵と懐かしさで満たされました。それまでも、もうこれ以上ないと思うほどの安堵や感動で満たされていたのに、その体験は、本当にそれ以上の、言葉では表現できない体験でした。
 初めて、神と直接顔と顔を向き合わせ、一体となった時もそうでしたが、その時も言葉にしようとしても、とても表現しきれない素晴らしすぎる体験でした。

(こういう時、言葉がどれほどつまらないものか、本当に深く実感します。それを言い表せる言葉を探してもなく、かろうじて言葉にすれば、それはあっという間に制限され、縮こまってありふれた、まったく陳腐なものになってしまうのです。一番近く表現しようとすれば、詩になるしかないのでしょう。ルーミーなど、詩人であったことがよくわかります。)

 そのエネルギー体が次に来てくれた時に、初めて、それが未来の自分自身であることがわかりました。
その感動がわかるでしょうか? 本当に不思議な、この上なく歓びにあふれる体験でした。

 こういった体験が毎回毎回起こり、リトリートでのプレイヤー瞑想はどんどん進化していったのです。
 それらの肉体を持たない存在たちが、私とリトリートの場を整えてくれたのでしょう。

 そして、次の段階では、肉体を持たない存在たちが来るというより、神との一体の中で、ガイダンスが来るようになりました。
 それまでも、ガイダンスは来ていましたが、まだ、実際に言葉には出していませんでした。
 言葉にして出すことによって、より強いつながりの中で、それが起こるようになっていったのです。

 そして、毎回毎回、ベースは同じでも、違うエネルギーの場になるようになり、そこにいる生徒さんのその時に合わせたガイダンスが来るようになりました。

 そして、ガイダンスを伝えている時もエネルギーの伝達は起こっていますが、言葉で伝えることが収束した後、沈黙の中で素晴らしいエネルギーワークが起こるようになりました。
 それらは、私の意思とは全く関係なく、もちろん、私も完全に集中して、フォーカスしていますが、むしろ私を通して、大いなる存在がワークを行っている、という感じです。
 沈黙の中で、何やらワーッと、パワフルに、エネルギーワークが起きているのがわかり、それは、私にとっても、素晴らしい、本当に興味深い体験です。
 具体的に生徒さんの何にどう働きかけているのかは、わかる時とわからない時がありますが、いずれにしても、何か、そこで必要なことが全てなされている、という実感を持ちます。

 この、エネルギー伝達とエネルギー的ワークが、ここでのプレイヤー瞑想の真骨頂です。

 この段階になってから、プレイヤー瞑想が本当に楽しく、楽になりました。
 私が何の準備をしていなくても、直前まで、食事の支度をしていたり、洗濯物を干していたり、庭いじりをしていたりしても、その場に立ったとたん、そのスペースに入り、そのエネルギーとつながり、ガイダンスの導きで、必要なことが起こるようになったからです。
 毎回毎回、今日は何が起こるのか、本当に楽しみです。

次回のブログから、そのガイダンスを少しずつ紹介していけたらと思っています。